本社から、
年内いっぱい在宅勤務するよう通達が来た。
どうしても出社しなければならない場合は、
午前10時から午後4時までの時短勤務となる。
それで、今日は定例部門長会議だったので、
オフィスからZOOMで参加をした。
自分の発表パートも無事終わり、
他の部門長が発表しているのを、
他の仕事を片づけながら聞いていた。
その中で、あるサービス部門の女性リーダーが、
先月の実績について報告を始めたとき、
社長から彼女に、
何度も激しいダメ出しが入った。
しどろもどろに答える彼女。
その様子を見て僕は、
気の毒ーっ、と思うと同時に、
ああ、これが自分でなくてよかったあ、と、
安堵の思いに浸っている自分に気づいた。
そうやって、他の人の発表を聞きつつ、
フィリピン工場の財務資料のチェックをする。
ん?
バランスシートのバランスが合わない。
どうやら資産側の数字が間違っているようだ。
で、当然のように先方の財務担当者へ、
間違いを指摘するチャットを入れようとした時、
鬼の首を取ったように、嬉々として、
人を責めようとしている自分を発見した。
自我だ、と思った。
この災難が自分でなくてよかったあ、
あの人が犯した小さな間違いを見つけて
ほくそ笑んでいるのは、
自分がこんな立場になったらどうしよう、
人から間違いを指摘されたらどうしよう、
という、自分が責められる恐怖の裏返しだ。
罪悪を他者に転嫁することでホッとしている。
これって、一周まわって自分を責めている。
しばし、仕事の手を止めてそっと瞳を閉じ、
無限の全体へ意識を向ける。
そして、自分や他者が、
ひとつの同じ愛そのものの存在であったことを
静かに思い出してゆく。
こんな思いを抱く自分は神から離れている、
まだ自我の世界に留まりたいと思っている、
相手に罪を見て自分は潔白だと安堵している、
と、自分を責める方向へ向かうのではなく、
全てが愛そのものとして存在している場所へと、
意識を一転集中させるのだ。
〝これ、自我男じゃん!〟と認めたら、
ソッコーそこから立ち去り、
そもそも自分が愛それ自体だった事を思いだす。
自我に気づき、
でっち上げであることを見抜いて、そこから、
意識の方向転換をすることで神を思い出すのだ。