今日は出社勤務だった。
日本から賞与明細が送られて来た。
期待してなかったけどボーナスちゃんと出た。
このご時世に、本当にありがたい限りである。
改めて、社長、ごっつぁんです!
で、あのビアカフェにまた行っちゃった!
テラスの壁際に、ひな壇のようになった、
高い所に座って飲むテーブルがあり、
そこで、7%のノルウェービールを飲んだ。
高い場所から、
顕われては消えてゆく世界を眺めるのって、
兄貴の視点から見ているようで、気分がいい。
そういえば、今日はクリスマスイブだった。
しかし、香港の飲食店は全て6時で閉店である。
そして、この措置は1月6日まで継続される。
僕も明日から5連休に入るが、今年は思い切り、
内側で過ごすことにする。
話は変わって、定番の〝コースあるある〟に、
聖霊に尋ねなさい、導いてもらいなさい、
と言われて、いろいろ尋ねてみるけれど、
全然返事が来ない、何も聞こえない、
明け渡した感も全然ない、というのがある。
聖霊の視点で観るんですよ、と言われても、
どこが視点なのかもさっぱり分からない、
っていうやつ。
このように、
自分と聖霊との間に意識のギャップがあると、
いきなり聖霊に繋がろうとしても、
振れ幅があまりに大きすぎて、なかなか難しい。
もともと僕たちは、自分の心に問いかけることに
慣れていないし、本音に耳を傾けることも少ない。
なので、僕の場合、先ずは手始めとして、
自分の声を聞くことから始めた。
一人芝居のように、心の中に存在する、
本音の部分の自分と会話をする。
聖霊は本当の自分を象徴しており、
本当の自分の声を代表するものでもあるので、
自分の本音の声を聞かずして(隠蔽も含めて)、
聖霊兄貴の声を聞こうとしても絶対に無理だ、
と思ったのだ。
「なんであんなこと言われなきゃいけないんだ」
👉ほんとムカつくよな。どう?今赦せるかい?
👉だめだね。だから今はとりあえずふて寝する。
「エレベーターに乗る?それとも階段を使う?」
👉2階だし、階段でいいんじゃないか
👉そうだね。あ、でも、エスカレーターがあった
「本当はイヤだって言いたいけど、どうする?」
👉怖いから、今回はスルーしようかな
👉でも、すっごいモヤモヤしてるよね。
👉うん、本当はすっごくやりたくない
👉じゃあ、今回はちゃんと相手に伝えてみよう
普段は人の目を気にしたり、空気を読んだりして
もわもわっと無意識的に決めている事柄に対し、
ちゃんと本音を確認(相談)してやることで、
本当はどうしたいのかを明確にしてゆくのだ。
結果出てきた答えが、アイツ殺す、であっても、
こんな考えダメダメ、と思いを否定せずに、
先ずは、自分の本音を全部受け入れてやる。
その上でどうしたいか、例えば、赦したいか、
または、実際にアクションを起こしたいか、
を、本音の自分と一緒に決めてゆくのだ。
自分のことを解かっていない責め責め状態から、
いきなり聖霊へ針を振ろうとしても無理だ。
だから、一歩一歩いく。
そうやって、自分の内面の声と向き合いながら、
〝自分対話〟を繰り返していくうちに、
〝本当の自分に気づいている状態〟となり、
やがて自分の声は聖霊の声へと移行していく。
今の僕は、
無限の全体の方が完全リアルになってしまい、
もう〝自分対話〟は必要なくなってしまったが、
今思うと、このプロセスなしに、
今に気づいている、神に気づいている、
そして、それら全体が自分そのものだった、
という場所へはたどり着けなかったと確信する。
実存への入り口は自分の内部にある。
内側を進み、神に気づけば、
個の自分が無かったことを自然と理解する。
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