香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ホンネの私

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以前の記事で、自分責めをやめよう、

 

みたいなことを何度も力説していたが、

 

自分を責めるその根底にあるのは否定である。

 

もっと言えば、自分に対する否定、

 

自分から出た本音の思いに対する否定である。

 

 

本当はものすごく怒りたい。

 

➔そんなことしちゃダメ、それはエゴだから…。

 

本当はものすごく言い返したい。

 

➔そんなことは起こってない、世界は無い。

 

本当はこの人のことが大嫌い、死ねばいいのに。

 

➔そんなこと思ってはいけない、愛だから…。

 

本当は、本当は、本当は…。

 

 

そうやって、

 

自分によって抑圧され、行き場を失った思いが、

 

相手の言動となって眼前に投影されてくる。

 

他人を使って、自分が自分に文句を言っている。

 

ひどい時には、否定された思いが内へ向かい、

 

自分の肉体に病気となって顕われたりする。

 

自分の本音を抑圧し、否定すると、

 

他者や自分の肉体までをも悪者にし、

 

嫌な役をさせることになる。

 

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ああ、そうか、この嫌な出来事や病気は、

 

表現を許されなかった自分の思いが、助けてぇ、

 

と、他者や肉体を通じて叫んでいる結果なんだ。

 

 

本当はものすごく怒りたい。

 

本当はものすごく言い返したい。

 

本当はこの人のことが大嫌い、死ねばいいのに。

 

 

これって、本音の自分が、

 

それを無視し続けるもう一人の自分に放った、

 

愛を求める叫びだったのだ。

 

このことに気づいてから、僕は劇的に変わった。

 

存在の在り方が変わり、どんなネガティブなことも

 

愛の表現の顕れとして、自分に優しく寄り添い、

 

受け入れられるようになった。

 

 

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自分の本音を否定せずに受け入れ、赦してゆく。

 

赦すのは、自分を無いものとして否定している

 

自分自身であり、他者や出来事ではない。

 

隣人を愛す前に自分である。

 

自分の中のどんな思いも愛から来ているので、

 

抵抗せず、全部受け入れて、優しく寄り添う。

 

なので僕は、

 

〝手放す〟より〝受け入れる〟である。

 

 

昔、アンフィニをやっていた時に思っていた。

 

エゴの思いを統合して、手放しても、手放しても、

 

ボーリング場のボーリングの玉のように、

 

打ったそばから手元にボールが戻ってくる。

 

その当時は、次のが出てきているんですよ、

 

と言われて納得していたが、今なら解かる。

 

 

神の思い(愛そのものである自分自身の思い)を

 

手放すことなど不可能なのだ、と…。