香港では、
コロナ感染による地域封鎖が続いている。
あるマンションで感染者が出れば、
即日そのマンションを丸ごと封鎖して、
住人全員にPCR検査を受けさせるのだ。
事前に逃げ出す人もいるため、
封鎖は突然、何の予告もなく行なわれる。
検査を拒否した人には罰金が科せられ、
出国もできなくなる。
近い将来、もし、ワクチン接種も強制となり、
ワクチンを打たないと出国させません、
なんてことになったらどうしよう、と少し心配…。
僕は絶対にワクチンを打ちたくないので、
もしそういう噂が出たら、なり振り構わず、
香港からトンズラしよう、と考えている。
というわけで、外部の慌ただしさとは裏腹に、
心の中には、力強く愛の流れが躍動している。
もちろん、コロナのことも気にはなるし、
毎日、あれやって、これやって、と、
様々な日常の出来事に対処もするわけだが、
意識の矢印は、常に背後を向いている。
相手を愛として赦そうとしなくても、
自分の中の愛の流れに気づいていると、
何もせずとも、自然と相手が愛に変わる。
また、実相に繋がる、とか、聖霊に繋がる、
宇宙エネルギーにアクセスる、とか言われるが、
そもそも自分が実相そのもの、聖霊そのもの、
宇宙エネルギーそのもの、であり、
アクセスもくそも、ない。
だから、
自分の背後に流れる愛の流れ(神の想い)に
気づこうと、静かに内なる神へ向かうことが、
僕たちに求められているささやかな意欲だ、
と言える。
僕が初めて、今、ここに在る愛に気づいたとき、
「へっ?マジ?こんなんでいいの?」
という感じだった。
それはまさに、ささやかな気づきであり、
むしろ、ささやかでなければ辿り着けないほど、
微細な感覚だった。
なんだか、怖いものが本当に無くなってきた。
「私は葛藤の世界に身を置きたいです」と、
〝自分で決めて〟その映像を見ているのに、
その一方で、
「聖霊、私を導いて下さい。私は神を選択したい」
と、矛盾することを言っていたことにも気づいた。
選び直せるように導いてください、と、
いくら兄貴にお願いしたって、
先に自分でそう決めているのだから、
兄貴でもどうしようもない。
まるで、神社へ初詣に行って、
受験に絶対失敗してやる、と決めたうえで、
大学に合格できますように、
と祈っているようなものである。
選び直す力はすでに自分の中にあると気づくこと
そのためには先ず、自分に向かうこと、
他者ではなく、何よりも先ず、
自分に優しく、愛を以って寄り添うことが、
選び直すための第一歩となる。
極端なことを言えば、
人の事なんかどうでもいいのだ。
お願いだから、毎日、自分に向かって、
愛してるよ、大好きだよ、と言ってみる。
騙されたと思って、事あるごとに自分に対して、
ありがとう、と呟いてみて欲しい。
「この相手の対応は、どう考えても失礼だ、
自分は大切に扱われていない」と感じたら、
ちゃんと、相手に伝えてみるのだ。
「これは、オポヨポヨのなんちゃらと同じだ」とか、
「決断の主体で、愛か恐れか、のなんちゃら」とか、
もう、そんなことは、どーでもいいから、
なんしか、まずは自分を責めずに、
誰よりも、彼よりも、
自分を優しくいたわってやってほしい。
お金もかからないし、
自分に何の損失ももたらさないわけだから、
四の五の言わず、自分をほめて欲しい。
そうすると、ぴこっ、と、心の中で何か、
やさしい気配が反応するから、
そこをちゃんと捉える。
それが心の友、兄貴の復活となる。
ぜーぜー。
ではまた。