香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛が拗ねている

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👆 ジムが閉鎖されているので、

  多くの人が屋外施設で体を鍛えている

 

 

スピをやっている人、特にコース兄弟の中には、

 

自分が何かに腹を立てたり、言い返したり、

 

誰かを批判したりすることに対して、

 

大きな罪悪感を抱いてしまう人がいる。

 

そういう〝負〟と言われる感情が出てきた途端、

 

瞬時に〝ダメッ〟と抑え込んでしまう。

 

そして、その抑え込んだ感情を、

 

〝間違っている〟〝幻想である〟として、

 

聖霊に捧げて赦そうとするが、気分は晴れず、

 

逆に、そんなことを思った自分を責めたりする。

 

 

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僕も、

 

コンババ部長と〝すったもんだ〟していた頃は、

 

いつも心の中で葛藤を起こしていたが、

 

その罪悪感を直視すればするほど、

 

恐怖と不安感で胸がバクバクした。

 

後に、背後でいつも優しく寄り添ってくれている

 

神や兄貴に気づき、愛で満たされ、

 

自分がこの夢の世界で何をしでかしたとしても、

 

無条件で愛されているという〝自信〟を

 

取り戻してからは、世界が一変してしまった。

 

 

まず、怒りや批判や不安そのままでも神だ、

 

と理解できるようになった。

 

なんていうか、ケンカしていても愛し合っている、

 

思い切り噂話や批判をしまくっていても有り難い、

 

バカ野郎ーっ、と罵りながらも大好き、みたいに、

 

ケンカすることと愛し合うことが同じ、というか、

 

批判することと褒めることに差がない、というか、

 

馬鹿野郎と愛しているの間に矛盾を感じない、

 

というか、どちらも神の愛として見えてくる。

 

 

せっかく、

 

神が〝どやっ!〟と顔を出してきたところを、

 

〝それはダメっ!〟と、蝿タタキでバシンッ、

 

とやるように、負の感情を叩き潰していた。

 

しかし、本当は神の想いを叩き潰している。

 

 

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それは、本来愛であるものを、

 

エゴで歪めてしまっているんですよ、とか、

 

自分が地獄にいることをまず認めて、

 

といった、なんちゃらかんちゃらはもう、

 

一旦横に置いて、先ずは、

 

どんな自分もそのまま愛として受け入れる。

 

それが、今、ここに在る神に抵抗しない、

 

ということの意味である

 

 

そうやって、あらゆるものを神として、

 

そのままの自分を受け容れてゆくと、

 

不思議なことに、自我男だと思っていたものが

 

ぱかっぱかっと、聖霊に反転を起こしてゆく。

 

 

結局自我男も、拗ねた愛の裏返しに過ぎない。