香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

どうやって症候群

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どうやったら、今に気づき、神に気づけますか、

 

どうやって、聖霊の声を聞けばいいのですか、

 

どうやって、罪悪感を赦してゆくのですか、

 

奇跡講座だけではなく、他のスピに於いても、

 

〝どうやって〟実践すればいいのか、は、

 

大きなポイントになっているのではないだろうか。

 

 

かくいうこの僕も、奇跡講座を学び始めた頃は、

 

赦しの概念とか意味はあとでゆっくり学ぶから、

 

とりあえず、赦しのやり方、を教えて欲しい、

 

と思っていた。

 

 

例えば、

 

①まず気づき②次に委ねて③最後は見過ごす

 

というふうに、これをやりさえすれば、

 

罪悪感は消えて天国に帰れるんですよね、

 

みたいな手っ取り早いマニュアルを求めていた。

 

しかし、なんか、うまくいかない。

 

次々とその〝やり方〟に対する疑問が出てくる。

 

〝どうやって〟がどこまでもループしてゆくのだ。

 

 

「他人の中に罪悪を見たときはどうすれば?」

 

「自分の背後の無限の全体に意識を向けよう」

 

「どうやって意識を向ければ?」

 

「今、この瞬間にいてください」

 

「じゃあどうやれば、今この瞬間に留まれるの?」

 

「今、見えているものに集中してください」

 

「どうやれば集中できますか?」

 

「じゃあ、呼吸を感じてみてください」

 

「雑念が浮かんできたら、どうするんですか?」

 

とまあ、こんな感じで〝どうやって地獄〟は、

 

どこまでも続いていく。

 

 

まあ、多くのスピ先生やマスターの方々は、

 

この〝どうやって〟を云々することで、

 

お金を稼いでおられるわけだが、

 

この〝どうやって〟の思考自体が自我である、

 

と僕は思っていて、もうお分かりの通り、

 

これをやっている限り、どこへもたどり着けない。

 

 

僕の場合、どうやればいいのか、が出て来た時、

 

これはどういう〝感じか〟に意識を向ける。

 

なぜなら、この〝感じる〟という行為には、

 

〝どうやって〟が必要無いからである。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

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なんかうれしい、なんかムカつく、これ美味しい、

 

あの人悲しそう、不安でドキドキ、など、

 

感じることは誰だってフツーにできる。

 

どうやって感じるの?とはならない。

 

また、これらの感じは、

 

背後を激流のように流れている天国の愛の想い

 

ハートの悦(エクスタシー)そのものであり、

 

元来僕たち神の子に備わっている機能である。

 

  

だから、

 

何かに対して〝どうやって〟が出てきた時、

 

また、誰の言っていることが正しいかと思った時、

 

自分の中でどんな感じがするかを先ず感じる。

 

優しい愛の感じが流れているかを感じてみるのだ。

 

結果、他の人全員がAと感じているのに、

 

自分はBと感じていたなら、Bが正しい。

 

これは奇跡講座の学びについても言えることで、

 

たとえ、権威あるコース教師の誰々さんが、

 

「これはCなんですよ」と言っていたとしても、

 

自分の中に少しでも、あれ?、と、

 

違和感を感じれば、

 

権威ある誰々さんのCを受け容れなくていいのだ。

 

 

性格、生い立ち、声、顔、背格好、得意分野、

 

人それぞれみんな違っていれば、

 

感じ方も違っていて当然である。

 

完璧に人と同じように感じることなど

 

不可能であり、自分のこの感じ方は、

 

自分だけのものであり、

 

怒りまくっていようが、嫉妬しまくっていようが、

 

世間の型と違う自分を、ダメだ、

 

と思うことなどこれっぽっちもないのだ。

 

 

なので、みんな最初は、

 

自分だけの感じ方から神に繋がればいい。

 

そして最後には、みんな、

 

〝ひとつの神の感じ方〟にたどり着く。