香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

通行人A

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👆 日本のアイスキャンデーの大量買い。

  シャトレーゼがすぐ近くにあるので、便利。

 

今、この夢を見ているのはあくまでも〝わたし〟であり、

 

ゆえに、これは〝わたし〟が見ている夢の物語である。

 

なので、自分の夢に出てくる登場人物は一人残らず、

 

それがどんな大人物であろうと、カスな奴であろうと、

 

ただの登場人物で、それ以上でも、それ以下でもない。

 

言うなれば、

 

自分以外全員エキストラ、つまり、通行人Aなのだ。

 

 

それなのに、僕達は大抵、エキストラを主役にしている。

 

本来は自分が夢を見ている者(主役)なのに、

 

見られている者(エキストラ)の方にその座を譲っている。 

 

寝ている時に見る夢を思い出せばわかると思うが、

 

夢のストーリーは常に、支離滅裂でハチャメチャである。

 

なのに、夢を見ている最中は、なぜかそれを信じており、

 

自分の中では話の筋が通っていると思い込んでいる。

 

 

要するに、眠っている時に夢を見るのと同じ状態、

 

夢を見ている者が、これは夢だと認知していない状態、

 

エキストラに振り回され、主体が不在の状態、

 

それが、認知症の状態、つまり、今の僕たちである。

 

逆に言えば、認知症の人とは、自分が無くなり、

 

夢の登場人物が主役になっている人のことである。

 

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パートナーの心ない言動に一瞬殺意を抱いた、

 

親を馬鹿にする自分の子供の態度にマジ切れした、

 

いつも雑用ばかり押し付けてくる同僚にムカついた、

 

こんな思いに、キキーッ、となっているそこのあなた、

 

それって、うちの認知症の父親が、母のことを

 

〝わしの金を盗む泥棒〟と認知して罵るのと同じ、

 

認知症の症状を発症中なだけですから…

 

 

本当は、そんなことなど一切起こってなく、

 

父のお金はそこにあり、母はただテレビを見ている。

 

「ああ、おいどん、ただ勘違いしとっただけばってん…。」

 

と、自分がすでに神の中にいたことに気づくだけなのだが、

 

まあ、そんな簡単に行けば、今頃全員神の国でごわす。

 

(って、なんで急に鹿児島弁?)

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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 まあ、究極的には、多くのコース教師が言うように、

 

「そんな夢を見ている自分すらもいないんですよ」

 

「本当は神と同じ霊(スピリット)の存在なんですよ」

 

ということになるのだろうが、よく考えてみてほしい。

 

まだメシを食ってない、と駄々をこねる認知症患者が、

 

いきなり神へなど、シフトできるわけがないではないか。

 

「密かな罪悪感に気づいて、それを聖霊へ明け渡し…」

 

なんて、そんな高度なミッション、

 

うちの父親にやれと言っても無理なのと同じで、

 

すでに認知し損ねている者にとっては至難の業だ。

 

 

なので、一気に神の方へ向かおうとするのではなく、

 

先ずは、夢を見ている自分に力を戻すことから始める。

 

エキストラに明け渡していた主役の座を、

 

自分の方へ取り戻すのだ。

 

それには、カスな相手に怒り爆発してしまった自分、

 

娘や息子にナメられまくって怒り心頭な自分、

 

人の目を気にして何も言えない自分、に対して、

 

一切抵抗しないでいることである。

 

怒りは怒りのまま、抵抗せずに夢の目撃者であることで、

 

エキストラをエキストラとして、通行人Aを通行人Aとして

 

眺める(見過ごす)ことができる。

 

 

なにはともあれ、主役の私を中心(いま)に置くこと。

 

自分が言うべきことはきちっと言えるようになること。

 

神の愛を感じでどうの、自分なんかなかったこうの、

 

というのは、自分が中心に戻ってからの話である。