僕の見ている世界が、
もう、がんがん、愛そのものに変わってゆく。
訓練のつもりで始めた自分との対話もやがて、
〝彼〟(聖霊)との対話へとシフトし、
〝彼〟が常に寄り添ってくれるようになった。
こうして、
自分の背後(内側)が愛で満たされてくると、
あれよあれよという間に、自分の内側が、
神でいっぱいになった。
すると、
見えている世界にも神が反映されはじめ、
見えるもの全てが〝優しい絵〟となり、
最後は、世界が全力で自分の味方をしている
ように感じられ、絶対的大丈夫感に包まれた。
とまあ、自分で書いていてもヘンな文章だな、
とは思うのだが、こうとしか書きようがない。
それでも、
「うわっヤバッ、しくったーっ!」となることはある。
そんな時は、
「世界は自分の味方」「世界が自分を愛している」
と、マントラのように唱えることで、
さっ、と意識を、神側へ戻すようにしている。
僕たちはすぐに神の感じを忘れてしまうので、
こういう自分だけのマントラは助けになる。
心がびゅんびゅんし始めた時に唱える一言だ。
「私は愛そのもので完璧な存在だ」みたいな…。
ただその際は、ぜひ主語を〝私〟にしてほしい。
「あの人は愛そのもので、完璧な存在である」
ではなく、
「私は愛そのもので、完璧な存在だ」
とする。
自分の背後へ矢印を戻すマントラなので、
必ず主語は〝自分〟である。
そして、唱えるよりも感じる事が大切なので、
ほっと心が平安になるようなフレーズを考える。
話は変わり、
今日は強制有休消化日で、会社は休みだった。
それで、家の中でなんやかやしていると、
内装工事をしている階下のフラットから、
電気ドリルで壁を削る騒音が聞こえて来た。
道路工事で地面を掘削するときのような音が、
家中に響いている。
以前の僕なら、とても耐えられなかっただろうが、
今回はこの騒音が、愛してるよーっ、という
神の歌のように聞こえ、何も気にならなかった。
なので、世界は自分の味方、というのは、
内装工事の騒音がなくなることではない。
今、このままで、
世界が自分に味方していることに
気づいていることである。
騒音が本当は神の歌だったことに
気づけていることである。
こうして、世界の中に神を感じ出すと、
次々に奇跡みたいな事が起こり始める。
現実の様々な場面が整えられ、本当に、
世界が自分を助けてくれるようになるのだ。
見え方が変わる、とかの生易しいレベルではなく、
実際、お金が入って来たり、病気が治ったりする。
しかし、
お金が入ってこなかったり、病気が治らなくても、
愛に満たされている感覚はやっぱり至福で、
神の至福の中にいると、やはりそれが反映されて、
お金が入って来たり、病気が治ったりする。
でも、別にそんなのどうでもよくって、
しかし、結果として、やっぱり、
経済的にも肉体的にも豊かになる。
て、どっちやねんっ!わけわからへん!(笑)