自分の中に神の力強さを取り戻せていないのに
兄弟の幸せを考えたり相手を愛で観ようとすると
逆に相手から、わがまま勝手な反逆を食らって、
ヘタをこく、ことがよくある。
自分に力を戻せていないと、
私は神の子です、の後に、なぜか、
あの人も神の子です、と付け加えてしまう。
自分だけを神の子、と宣言してしまうことに、
後ろめたさというか、罪悪感を感じてしまうのだ。
そして、
罪悪感が軸となった〝あの人も神の子です〟が
相手に攻撃をさせるきっかけを作っている。
なぜなら、
自己の内面を映し出しているのが他者なので、
自分の中に神の子としての自覚が確立されれば
幻想の他者は自動的に神の子に変わるのに、
わざわざ、あの人も神の子です、とやることで、
他者を先手にして実在化させてしまっている。
なので、なにはともあれ、自分に集中する。
自分の全てを肯定し、自分の全てに許可を出し、
無限の全体の主体は神の子である私だ、
が自覚されて初めて、あの人も神の子です、が、
ひとつの神の子として背後に知覚されてくる。
とは言っても、
自分を後手にすることに慣れている人が、
いきなり、自分を先手にするのも無理がある。
なのでまずは、頭の中を変えることから始める。
職場などで、相手から攻撃されたりしていたら、
「よし、どんなことでも全部、受け止めてやる!」
と力強く覚悟を決めて自分に宣言してやる。
そうすることで「また攻撃される、怖いよー」から
「受けて立ってやる」に意識が変わったことで、
少しだけ強さが自分に戻ってくる。
相手の言動にすっごくムカついたら、
「腹立つ、腹立つ、ムカつくぅーっ、死ねえー!」
と、思い切り一人きりの場所で叫ばせてやる。
そうすることで「言い返せない自分に悶々…」
から「好きなだけ吐き出させてやるんだ」と、
少しだけ楽な気分になる。
怒りを爆発させてしまう自分が赦せなかったり、
他者の言動で自分を責めたりする状態で、
相手を赦すとか、愛で観るとか、無理だし、
「怒りは決して正当化されない」というのも、
自己の内部に力強さが戻って初めて、
心からそう宣言できる。
なので、
先ずは〝私〟を受け容れることで神を受け容れ
私が本当は神と同じ神の子だったと智ることで、
神しかなかった、神だけだった、となり、
故に、はなから私など存在しなかったと気づき、
他者も同様だった、と自覚できるようになる。
結局、自分に気づくことが神に気づくことなのだ。