いま、自分の目の前に現れ出る人たちが、
自分の分身そのもののように思えて面白い。
なんていうか、どんなキャラが出てきても、
だい好きーっ、となってしまう。
何を見ても、愛らしく、愛おしく、どこかカワイイ。
というのも、
僕には女の子の部下が二人いるのだが、
1人が財務担当の女性(40歳/独身/人見知り)
で、もう一人が銀行関係担当の女性
(30代/独身/声と体でかい)である。
どちらも、礼儀正しく、仕事上何ら問題はない。
それで昨日、
若いほうの部下のデスクのパーテーションの上に
三角卓上カレンダーが二つ並んでいるのを見て、
なんでこんな狭い棒状の梁の上に、
卓上カレンダーを二つも並べているのか、と、
年配のほうの部下に訊ねてみた。
(若いほうはこの日、有給休暇中だった)
彼女曰く、
斜め前の席にいる○○(おばさん/既婚/噂好き)
が、立ち上がるたびにこちらを覗いてくるので、
それを嫌って、パーテーションの上に
カレンダーを並べ、覗かれても見えないように
防御しているそうなのだ。
聞けば、このおばさんは噂好きで、
いつもズケズケモノを言うので嫌われている、
(あくまで僕の部下たちの言)ということだった。
へえ、そうなんだあ、と、
今日、若いほうの彼女が出勤してきたので
それとなく彼女を観察していると、
仕事をしながら普通におばさんと談笑している。
いや、パーテーションがあるだけでも、
すでに充分誰からも覗かれない状態なうえに、
三角卓上カレンダーまでのっけて
顔が見えないようにするくらい嫌いなのに、
普段は仲良く雑談を交わしている。
男の僕には、もう訳が分からない。
以前の僕なら、
これって自我の分離の極みだ、本当にくだらない
と、脱力して顔を背けていただろう。
しかし、こんな彼女たちの姿も、なぜか今は、
〝カワイイー、愛おしい、だい好きー〟
というふうに感じてしまう。
彼女たちのやっていることが、まるで、
自分の中の別の側面のひとつのように思え、
ぜんぜん嫌なものとして映らないのだ。
そこで思った。
兄貴の視点からは、きっと僕らはこんなふうに
見えているんだろうな、と…。
僕たちからは罪悪のように見えるものも、
兄貴からは愛にしか見えないのだ。
だから、一見罪悪のように見えるものを見て、
罪悪はない、それは本当ではない、ではなく、
それは愛だった、が本当の捉え方なのだ。
なので、彼女たちが何をやっているかは関係なく
自分の内側が〝愛の感じ〟で満たされることで
同じものが全く違うものに感じられるのだ。