相手から理不尽な要求をされたとき、
誰かから愛のない言葉を投げかけられたとき、
ある人に対してものすごい怒りを感じたとき、
大概のコース教師は、それは真実ではない、
神を思い出せ、神の方へ方向転換せよ、と言う。
しかし、
「そうだ。これは幻想なんだ。神しかないんだ。
背後の無限の全体にアクセースっ!」
で、神へと戻っていける人はそうそういない。
学習会やリトリートでも、コースの解釈は教えても
体感を伴った実践について語る教師は少ない。
世界はないのだから、ない世界のことを語るのは
自我だ、と言う人もいる。
じゃあ、自分でやるしかない、と、
職場や、家庭などの日常生活に於いて、
ムカつく、モヤモヤ、悲しいが湧き上がってきた時
現実的に、具体的に、どうすればいいのか、と、
自分で色々実践してみた結果、分かったのは、
心の中から湧き出した、怒り、不安、悲しみも、
愛に裏返して観れば愛だった、という事実だった。
上司からネチッとダメ出しされた→怖い/無力感
→ 本当は大切に扱われたかっただけなのに…
→ じゃあまずは自分で自分を大切にしてやろう
→ 怖い、悲しい自分をちゃんと受容してやろう
パートナーからさらっと否定された→怒り/殺意
→ ただYESと受け容れてほしかっただけなのに
→ まず自分で自分を全肯定で受け入れてやろう
→ そんなことないよ、と次は一言言ってみよう
👆 先日行ったモロッコバーの美人店員さん
傷ついたり、ムカついたり、悲しんだり、
様々なネガティブな感情が出てきた時、
それって裏を返せば、本当は愛されたいんだ、
という感情の裏返しであり、
それも愛の別の側面なのだから、
僕の場合、
言い合いするときは、思い切り言い合いをするし、
ムカついたら、ムカつくんだけど、と相手に言うし、
悲しいときは悲しい、ととことん落ち込む。
こうやって〝愛されたいちゃん〟を、
ちゃんと意識しながらパフォーマンスすることで、
愛されたいが、くるっと、愛してるー、に反転する。
そして、これも、何度か(五、六回)やっていると、
最初から〝愛してるーっ〟しか出てこなくなる。
怒ったり、苛立ったり、不安になったりすることに、
ましてや、それを表に出すことに、スピ兄弟たちは
ものすごい罪悪感と抵抗を覚えるのだが、
愛されたいも愛の一部だったんだ、と
意識されていれば、絶対に変な風にはならない。
また、
言い返したり、反抗したり、怒ったりすることに
罪悪感を覚えてしまうのも、
神の愛が裏返っているだけで、やはり愛である。
罪悪感をスルーして心の奥へ押し込めることは、
愛を押し込めてるのと同じことなのだ。