今日は久々に銀行へ小切手を入れるために外出をした。
こんな小さな外出にウキウキするなんて、相当キテる。
以前は日帰り上海出張とか毎週のようにしてたのに…。
それでも、神の大好き、はいつも流れていて、
通りを行く人たち、同僚、自分の部屋全体に溢れている。
もちろん、毎日、様々なことが起こり、それに伴って、
様々な感情が心の中を通り過ぎては消えてゆく。
これは、肉体を持っている限り、絶対になくならない。
しかし、戻る場所を知っている。
そこには全てがあり、父や本当の自分である霊がいる。
〝自分を神の方へ寄せてゆく〟ことを意識している。
言っておくが〝神を自分の方へ寄せる〟のではない。
うーん、神でないものを見て神を知る、というか…。
嫌悪や憎しみを通して通して愛を知る、というか…。
職場、家庭、趣味のサークル、コース学習会(笑)など、
一見、僕達の日常生活は、神でないものに満ちている。
例えば、
職場の業務メールによくある、一斉CC:チクチク攻撃、
不機嫌そうに飯を食う旦那、夫側の親戚を悪く言う妻、
グループチャットなどで感じる微妙な無視、など、
これ以上でもこれ以下でもない〝非・神〟な現実が、
日常的に繰り返されている。
ただ、これらの出来事と言うのは、肉体を持ち、
普通に社会生活をしていれば必ず体験することであり、
起こらないように努力しても、それはもう無理だろう。
じゃあ、どうするかというと、
〝非・神〟な現実から〝神〟を思い出す、すなわち、
自分が願っていない現実を見て、
本当の自分はどうありたかったのかに気づいてゆく。
上記の例に挙げたような、心地悪い状況に遭遇した際、
本当の自分は何を欲しているのかを理解してゆく。
一斉CC:チクチク攻撃で悲しくなったけれど、
本当の自分は、ただ認められたかっただけなんだ、
パートナーの言動にむかっ腹が立ったけれど、
本当は感謝され、愛されたかったんだ、
誰かから無視されたようでドキッとしたけど、
本当はみんなに受け入れられたかっただけなんだ、
ということに気づいてゆくのだ。
それが、神に寄せてゆく、ということであり、
愛を求める叫びから、神を見出すことの意味である。
チクチクな現実は全部、神の裏返し、だったのだ。