香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

望んで神を感じる

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👆 近所に立ち食い寿司屋がオープン

 

 

奇跡講座の実践の中で、

 

最もうまくいかなくて悩むのが、

 

沈黙する、解釈しない、自分でやらない、

 

一歩下がって道を空ける、兄貴に委ねる、

 

といった、自分を消す系の実践だろう。

 

 

いくら、

 

これは頭の中だけの実践です、と言われたって、

 

こんなこと、実際にできる人なんているのか、

 

と思ってしまう。

 

リトリートとかで理論だけ聞いている分には、

 

ああ、そうだそうだと理解できても、

 

日常で実践するとなると、なかなか難しい。

 

ていうか、無理だと思う。

 

何の解釈もせずに仕事なんてできないし、

 

ヤンチャをしまくる子供を前に、

 

一歩下がって子育てができるとも思えない。

 

 

じゃあ、いわゆる、実践ベースで言うところの、

 

自分でやらない、解釈しない、一歩下がる、

 

とはどういうことなのか、と考えてみたところ、

 

それは〝どうやって〟を考えないことだ、

 

という結論にたどり着いた。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

例えば、ある女性が、素敵なパートナーと、

 

大恋愛をして結ばれたい、と思ったとする。

 

相手はこんな感じの顔立ちで、性格はこうで、

 

自分のことをとても愛してくれる優しい人で、と、

 

理想のパートナーのことを思い描いただけで、

 

ワクワクウキウキし、幸せな気持ちになる。

 

こうして、そうなった時の感じを味わっている瞬間

 

彼女は自分の望みに何の抵抗も持っておらず、

 

ただ神の中で、ただ歓びを感じているだけ、

 

の状態にあると言える。

 

 

本来は、そこで愛を感じていればいいだけ、

 

な筈なのに、僕達はたいがい次の瞬間、

 

〝じゃあ、どうやって〟と考えてしまう。

 

マッチングアプリに登録してみる?

 

お見合いパーティーに参加してみようか?

 

ちょっと気になる職場のあの人はどうかな?

 

こうして〝どうやって〟を考えた結果、

 

次に、○○があるから、という想いが出てくる。

 

もうこの年齢だから(➡恋愛は無理だ)

 

田舎に住んでいるから(➡そんな男性はいない)

 

わたしは美人じゃないから(➡ふさわしくない)

 

子供がいるから(➡人に何て言われるか)

 

だからダメとなり、瞬殺で歓びが打ち消される。

 

 

素敵な人と恋愛して結ばれたい、

 

を呼び水にして、せっかく神の気配を感じて

 

今、この瞬間にある歓びを味わっているのに、

 

〝どうやって〟を考えた瞬間、神がいなくなる。

 

 

このことに気づいてから、僕は仕事中でも、

 

どうやって、を考えないようにしている。

 

来週のことは来週のその時に考えればいい、

 

どうなるかなんて誰にもわからない、と…。

 

 

仕事が忙しくて、てんてこ舞っている状態でも、

 

今この瞬間だけを見れば、今やっている作業は、

 

今やっているそれしかない。

 

どうやってこれを今日中に終わらせよう、

 

あれもこれもあるから無理だ、と思うから、

 

苦しくなって不安や緊張が出てくるのだ。

 

それよりも、ちょっとコーヒーで休憩して、

 

もっとこんな環境で働けたらいいなあ

 

本当はもっと自由を感じるこんあ場所に居たい、

 

と、ちょっとウキッとできる望みを感じることで、

 

無限の全体に在れるようになる。

 

 

これが、今の僕にとっての、自分でやらない、

 

兄貴に委ねる、解釈しない、ということの

 

実践となっている。