香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

こじらせ兄貴

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なんか、すごいことに気づいてしまった気がする。

 

 

自分の中のエゴの囁きを無くす最良の方法は、

 

エゴを直視することでもなければ、

 

エゴを見過ごすことでもない。

 

自分の本音の声を聴いてやることだった。

 

 

どういうことかというと、

 

自分は本当はどうしたいのか、を、事ある毎に、

 

背後にいるもう一人の自分に訊ねてやるのだ。

 

なんでこんなことに気づいたかというと、

 

本来エゴの声(エゴのささやき)というのは、

 

自分の心の中にある愛を求める叫びが、

 

こじれた状態で出てきているものなので、

 

その叫びをちゃんと聞いてやり、

 

本当はどうしたいのかを確認してやることで、

 

愛を求める叫びが、愛へと昇華され、

 

自我は納得して、聖霊兄貴に姿を変えてゆく、

 

〝のではないか〟と気づいたからだ。

 

 

このことに気づいてからというもの、僕はもう、

 

仕事中も、食事中も、通りを歩いている時も、

 

ずっと、自分の中に問いかけ続けてた。

 

 

今夜は何を食べたい?

 

今日はダンベルプレスを何キロでやる?

 

右に曲がる?それとも左から行く?

 

こっちの方が安いけど、本当はどれがいい?

 

という風に、日常生活の中の小さな問いかけから

 

お金の事とか、帰国の事とか、

 

何も気にしなければいつまで仕事を続けたい?

 

日本へ帰る?それとももう少し香港に居たい?

 

といった少し大きな決定事項まで、もう一日中、

 

何百回となく、本音の自分に問い続ける。

 

 

徹底的にやっているとやがて、

 

日常的な事なら、ちょっと心に問いかけただけで

 

〝これ〟と答えが返って来るようになった。

 

僕の場合、言葉で聞こえてくるのではなく、

 

問いかけてしばらく待っていると、身体の奥から

 

ぐわん、と正しい答えが感覚として上がってくる。

 

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ただ、これにはちょっとした地獄経由がある。

 

それは、自分に問いかけるそばから、

 

自分が自分にウソをついてくる、という現象だ。

 

 

例えば、

 

AというケーキとBというケーキ、どっちがいい?

 

と自分に訊ね、Aがいいとなったとする。

 

でも、再度よく心の中を探ってみると、

 

Bは昨日食べたから、とか、Bはカロリーが多そう

 

誰々さんが、Aの方が美味しいと言っていたから

 

などが隠れていたりする。

 

じゃあ両方食べたいのかと言えばそうでもない。

 

なので、そんな条件的なことを全部抜きにしたら

 

本当はどうしたいのか、を再度自分に問い直す。

 

結果、どちらもそんなに食べたくなかった、

 

となったりする。

 

 

かつての、香港残留VS日本帰国騒動の時、

 

どうしてあんなに迷ったのかというと、

 

細かい事を全部抜きにしたらどうしたい? 

 

という問いかけをせず、ただただ、

 

条件で走っていたからだと今は分かる。

 

 

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〝あの時、あんなにも激しく怒ったのは、

 

 本当は大切に扱って欲しかったからだ〟

 

〝あの時、あんなひどいことを言ったのは、

 

 本当はあの人と仲良くしたかったから〟

 

 

本当の本当の本当はこうしたかったんだ、

 

をちゃんと抽出し続けていると、

 

だんだんエゴのささやきが無くなってくる。

 

個人差はあると思うが、これは本当にそうなる。

 

なんか、世界を歪めずに見る眼差しというか、

 

相手も本当はこうなんだろうな、と思えてくるので

 

たとえ、自分に聞いて買ったケーキが不味くても、

 

自分に聞いて、実行したことが大失敗であっても、

 

やっぱりそれが正解だった、これでいいんだ、と、

 

力強さと愛おしさが込み上げてくる。

 

 

エゴは結局、

 

愛をこじらせてしまった兄貴でしかない。