もし、自分が神から100%完璧に愛されていて、
全てを肯定されていて、赦されているとしたら、
自分は、今のこの選択をするだろうか、
という話である。
以前の記事で、
食べるもの、着るもの、発する言葉、など、
逐一自分に〝本音〟を確認してから選択する、
という実践をしている、みたいなことを書いたが、
今ではもっともっと段階が進み、
じゃあ、父(神)から、
こんなにも愛され、どんなことも許され、
何をしても祝福しかされない自分であれば、
今、本当にこれが欲しいのか、
今、本当にここで働きたいのか、
今、本当にこの人と一緒にいたいのか、
と自分に質問するようになった。
まあ、こういうふうに自分に質問すると、
多くの選択は〝NO!〟となるのだが、
それで全然かまわないのだ。
会社を辞める必要などないし、
今一緒にいるパートナーと別れる必要もない。
認識することが大切なのだ。
その上で、
「私はこの職場で頑張って、
何としてでも子供たちを養っていく!」
と、力強く決めるのだ。
多くのコース兄弟たちは、
現実世界で自分が望んでいるものを無視して、
いきなりひとっ飛びに「私は神を望んでいる!」
とやってしまおうとするのだが、僕の経験では、
それでは、体感からの理解が起きない。
あそこのレストランでこれが食べたーい、
本当は黒よりも真っ赤な服を着たかったんだ、
あの人みたいな生活がしたぁーい、を自分に許し
それを望んだ時の〝感じ〟を味わうことによって
神の気配を〝体〟で〝感〟じることができる。
なぜなら、
僕達は、一日中家にこもってニートをやりながら、
瞑想ばかりをしているわけではないからだ。
ちゃんと、日常生活を味わうことで、
そこから愛を感じ取ってゆかなければならない。
そしてそれこそが、真のグランディングであり、
神に一致して生きることだ、と思っている。
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