香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

瞑想と素粒子

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今日は、みずほ銀行で入金手続きをするため、

 

午後から九龍のチムサーチュイまで行ってきた。

 

ちょっと銀行へ行くだけなのに、

 

就業時間に外出することがすごく楽しい。

 

そういえば、

 

出張へ行かなくなって10カ月になる。

 

もちろん、日本へも帰国していない。

 

この狭い香港にもう、10カ月も籠っているのだ。

 

でも出張ずくめだった頃は、もう移動したくない、

 

どこへも行きたくない、飛行機に乗りたくない、

 

会社と家を往復するOLみたいな生活がいい、

 

と、事あるごとに書いていたが、えっ?

 

望み叶ってるじゃん!引き寄せてるじゃん!

 

 

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というわけで、ここのところ、

 

行くところもないので、瞑想ばかりしている。

 

瞑想が気持ち良すぎて、

 

通勤電車の中、昼休み、夕食後、就寝前、と、

 

考えてみたら、一日中瞑想している。

 

今日銀行で並んでいた時も、動画なんか見ず、

 

瞑想していた。

 

まあ、瞑想と言ってもそんな大したものではなく、

 

適当な瞑想音楽を聴きながら、力を抜き、

 

あらゆるものに対する抵抗を止めて、ただ、

 

背後の無限の全体に開いている、というものだ。

 

 

最初の頃は、すぐに様々な雑念が湧き出し、

 

今この瞬間から離れてしまっていたが、

 

鍛錬のたまものなのか、今ではどんな状況でも、

 

目を閉じれば、神側へ没入できるようになった。

 

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それで、最近、瞑想中に感じるのが、

 

自分の肉体が細かい粒子にまで分解されて、

 

もわもわっとした波のようになる感覚である。

 

確固とした自分が無くなり、素粒子の波のように

 

何にでも変化できるような感じになるのだ。

 

無数の粒子がぞわぞわ振動している感じ。

 

 

そして、波のようになっている自分は、

 

椅子にもなれるし、田中さんにもなれる。

 

自分という存在が、全てと混じり合い、

 

意識を向けた何とでも、

 

交換可能なように思えてくるのだ。

 

 

やがて、

 

瞑想中に自分が感じているこの愛の気持ちや、

 

ハートのエクスタシーが、素粒子レベルで、

 

周囲の空間に何らかの影響を与えているのでは

 

ないか、と考え始めた。

 

 

そういえば、

 

足立育朗さんが著書『波動の法則』の中で、

 

陽子は意志であり愛で、

 

中性子は意識であり調和だ、と述べていたが、

 

瞑想で愛を意志し、調和を意識することで、

 

背後の筒を通って、現実のスクリーンの後ろから

 

愛が反映されてくるのだな、と思ったのだ。

 

 

僕の感覚では、

 

前方同士(肉体同士)でやっているやり取りは、

 

自我による投影となり、

 

背後から回ってスクリーンの裏側から出てくる

 

愛や感謝が神の反映だ、と感覚化されている。

 

 

最近は、瞑想していない時でも、

 

(目を開けて何かしているときでも)、

 

空間に粒子が飛び、波を打ったようになって、

 

空間のあらゆる人や物体と一つに繋がっている

 

ような感覚になる時がある。

 

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これは関係ないかもしれないけど、

 

意思と意識で素粒子を動かせれば、

 

様々なものを物質化できる気がする。

 

ということは、今の僕のOL生活も、

 

量子によって引き起こされてるってこと?

 

ううっ。

 

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