香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

アッパーフォトン

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以前、アッパーハウスの49階で食べた

 

イタリアンのランチがとてもおいしかったので、

 

今回はアフタヌーンティーをしに行ってきた。

 

また今回も、公務員を退職したあの、

 

退職金6千万円の、悠々自適な友人を誘った。

 

今回は〝お茶〟を楽しむ時間帯だったので、

 

ワインは飲まなかった。

 

 

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前回同様、

 

店内は穏やかで優しい空気に満ちていた。

 

まあ、こんなことを言ってはナンなのだが、

 

あるグレード以上の店には、経済的に余裕があり

 

心にもゆとりのある人々が多く集まるので、

 

そういう穏やかな人たちが放つ、

 

おおらかなフォトンが、

 

店全体の雰囲気を平和なものにしていた。

 

 

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いま、この瞬間に溢れている平安の光と、

 

豊かさの気配を思う存分味わった。

 

それによって何かを得ようとするのでもなく、

 

ただ、その心地よさに身を委ねて感じるのだ。

 

僕にとっては、こういうアッパーな人が集まる

 

レストランでお茶をするという行為そのものよりも

 

〝愛の感じ〟を感じるためにそこでお茶をする。

 

 

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話は変わって、

 

前回、人々が表面的に発する言葉を信じない

 

と書いたが、今では更に症状が進み、

 

これらは全部エゴが見せる妄映であり、

 

本当はそこには誰もおらず、何もしていない、

 

ということが、概念や観念ではなく、

 

ましてや言い聞かせでもなく、

 

もうマジで、ありありと〝体感〟されてきている。

 

 

いや、もちろん、仕事中なんかに、なんだこいつ、

 

となる瞬間はあるけれど 「ああ、これ、ウソだわ」

 

と即行で理解が起き、そのウソをウソとして、

 

きちんと認識することができている。

 

ああ、これが〝エゴを見過ごす〟ことなんだな、

 

と、ようやく腑に落ちて理解している。

 

 

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別の例を挙げると、僕の父は認知症である。

 

だから、LINEビデオで映像越しに話をしても、

 

彼が発する言葉はちんぷんかんぷんで、

 

ほとんど意思の疎通ができない。

 

それでも、その父の背後を流れる、

 

不変の愛の本質を感じていると、

 

何も問題がないように思えてくる。

 

要するに、見えている父は全部ウソなのだ。

 

 

じゃあ、ウソではない言葉、真実の言葉、とは、

 

どんな時に発せられるのか、と考えてみた時、

 

それは、やりたい事と、実際にやっている事が、

 

完全に一致している時に発せられる言葉こそが

 

真実の言葉なのではないだろうか、と思った。