先週の日曜日、
2回目のコロナワクチン接種に行ってきた。
しかし、前回同様、
クイーン・エリザベス体育館の入り口で
スマホに届いた予約表をみせると、
予約の日付が昨日になってますよ、と言われた。
焦りつつ確認すれば確かに日付は昨日だった。
ぎえっ、一日過ぎてるっ!
何とか今日接種を受けさせてもらえないか、と、
受付で頼んでみるが、今日の予約は一杯で、
再度別の日を予約し直してくださいと言われた。
マジか!再度予約と言っても、
ドイツ製ワクチンは8月一杯で品切れになるため
今から予約しても、もう手遅れだようぅー。
と、近くにちょっと偉いさんっぽい女性がいたので
彼女に事情を話し、何とか今日接種できないか、
日本式〝ザ・お辞儀〟で頼み込んでみた。
彼女は僕のIDを持ってどこかへ行っていたが、
15分ほどで戻ってくると、予約を変更したので、
今から接種を受けられますよ、と僕に告げた。
ああ、よかったあー!助かったあ!
と、そういうわけで、ワクチン接種は完了した。
受付で予約を取り直せと言われても諦めず、
別の人に訊いてみる、という発想が出たのは、
まさに日ごろから〝本当の本当はどうしたいか〟
と、自分に聞く訓練をしてきたからだと思う。
予約の日付が過ぎてますよ、と言われた時、
それでも、今日接種を受けたい、と思った。
それで僕は、受付でダメなら他の人に頼んでみる
という、ふっと出てきたひらめきに従ったのだ。
今に委ねたり、起こるがままを受け入れるのは、
本音の自分に沿って行動した、その後のことだ。
でないと、
「予約の日を間違える俺って、なんてバカなんだ」
と自分を責める気持ちを押さえつけながら、
全ては最善~、とニセの赦しをやってしまう。
例えば、
レストランで、イマイチな席に案内された時、
「あの席がいいんですけど」と訊いてみる。
友人と食事に行ったとき、友人が、
「私こんなに食べれないからあなたこれ食べて」
と、食べ物を残す罪悪感を押し付けてきたら、
「私は要らない」ときっぱり宣言するのだ。
本音の自分に寄り添った行動をすること、
それが、自分を愛する、ハートを感じることの
行動レベルでの意味である。
そして、ワクチンを打ち終えたあくる朝、
早速、副反応が顕われた。
熱はないのだが、全身がだるく、頭痛もする。
身体に力が入らず、脱力感が半端ない。
それで会社と相談し、この日は休むことにした。
眠くて眠くて、もう一日中眠っていた。
だが、とても心地よい眠りだった。