👆 ブルックスで夏物半額セール
でも最近〝正統派〟が苦手に…。
何か現実で辛い出来事が起こった際、
たいていのコース兄弟なら、
肉体である個の私には何も分かりません、
なので、自分では何もしません、判断しません、
と、即行、聖霊に助けを求めて祈ると思うのだが、
祈った後、
聖霊の助けが来たかと言えば???である。
「いや、私たちの分からない深い部分で、
聖霊はちゃんと仕事をしてくれているんですよ」
とコース教師からアドバイスされたりしても、
やっぱり何も感じないし、苦しいのは変わらない。
僕の体験から言うと、それって取り消されてない。
自分で作った夢に、自分でケリをつけないで、
ただスルーして、兄貴い~、とやっても、
自分が納得していないので、助けは来ない。
辛いと感じる出来事が起こった瞬間、僕達は必ず
何らかの思いや感情を〝感じて〟いる筈である。
なのに、
〝悔しいよ、悲しいよ、ムカつくよ、〟
〝オレらも本当は愛なんだよ、認めてくれよう〟
と言って、せっかく出てきたそれらの〝懇願〟を、
「真実のレベルではそれは実在ではない」と、
瞬殺で無視してしまう。
ノー!
〝自分でやらない、ただ世界を見過ごす〟とは
どんな感情でも、一旦しっかりと受け止め、
それらが愛であったことをただじっと見とめてから
大好きだよー、と言って去らせてやることである。
しかし、嫌な感情を直視するのはとても辛いので
兄貴に助けてもらう。
それが聖霊と一緒に見る、という意味である。
「これは本当は愛なんだ、だから聖霊に祈って、
世界を見過ごして、なんちゃらかんちゃら…」
と、言葉で言い聞かせながらやるものではない。
「ああ苦しい!ああ腹立つ!もうイヤだ!」と、
その苦しみをただ聖霊と一緒に感じ尽くすのだ。
僕の場合、
去年の〝国慶節飛び降り寸前騒動〟の際、、
「よっしゃあ、全肯定して受け止めてやるぜ」
と腹にぐっと力を入れ、覚悟が決まった瞬間、
ああ、これみんな愛に変わるために出てきたんだ
と分かって、すっごい感謝と愛に襲われた。
自分が創り出したものを肯定して受け入れ、
それらと真正面から向き合った時に初めて、
自我は納得して愛となって消えてゆく。
それが、赦す、ということの実践的意味である。