👆僕の香港生活はここラムティンから始まった
あの頃はスーパーヤオハン(八百伴)があった
今日の香港の気温は摂氏16度、ここ最近、
雲一つない爽やかな晴天が続いている。
というわけで、会社を辞めて一カ月余りになる。
その間、ずっと心の想いに従って生活している。
それは、常に自分の内側と対話し、
出てくる〝本音の想い〟にイエスと言う生活だ。
本音と言っても、そんな大それたものではなく、
夕食は何を食べたい、とか、何をしたい、とか、
今日は筋トレでどの部位を鍛えたい、といった、
些細な事をひとつひとつ自分に訊いて行動する。
むしろ、こういう日常レベルの小さな事だからこそ
ま、いっか、と無意識に済ましていることが多く、
また、こういう小さな本音を疎かにしている者が
人生の大きな決断などできない、と思ったのだ。
こんな自分対話を一日中しまくっているとやがて
いちいち聞かなくても、ピッ、ピッ、ピッ、と、
本音の想いが直感として入ってくるようになる。
今日は豚カツでも食べようかな、と思っていると
突然、鶏肉サラダの画が、ぱっと浮かんだり、
地下鉄で九龍側へ行こうかな、と思っていたら
急に、バス、と閃きが入ってきたりする。
先週も、28年前、初めて香港で働き始めた時に
住んでいた場所を再訪しよう、と直感が来た。
だが、今住んでいる場所からは遠くて不便だし、
それに、必ずしも直感に従う必要もない。
それでも、今朝、すごく天気が良かったので、
ちょっと行ってみようかな、という気になった。
現地採用で給料が25万円だったあの頃、
家賃9万円の1LDKのアパートに住み、
そこではしょっちゅう金縛りにあっていた。(笑)
上司のパワハラに同僚からの嫉妬攻撃、と、
苦しい1年だったことを、あれこれ思い出した。
当時住んでいたアパートは壁が黒ずみ、
通りを行く人々の表情もどこか険しい。
当時の赦せていない何かを再認識するために
自分はここへ来たのだな、と思いながら歩いた。
こうして、最近、、インスタ配信を始めたり、
行きたいと思っていたレストランへ行ってみたり、
上海灘の香りが欲しいと思ったら買いに行ったり
と、心の想いを叶えながら毎日を過ごしているが
だからと言って何か好い事が起こる訳ではない。
〝考え〟で行くと現実には何のメリットもない。
しかし〝感じる〟から行くと〝悦〟を得ている。
心の想いが叶えられた歓びを感じている。
その感じこそが、本質の自己(神)の感じである。
金額では決してないが、1万円のレストランで、
ハートの神の〝いい感じ〟と同一化している。