👆 今日のお昼は〝車仔麺〟のテイクアウト
具だくさんで麵が見えない。
意識の拡大が止まらない。
これまでは、本質の自己に繋がる、とか、
意識を前側ではなく背後に向ける、とか、
無限の全体とひとつになる、というように、
まだ個としての自分が、神へと向かっていくような
そんな感覚があったのだが、冬至が近づくにつれ
自分がハートそのもの、無限の全体そのもの、
あらゆるものの全てだ、みたいな感覚と共に、
毎朝目覚めるようになった。
街の風景、通りを行き交う人々、家の中の家具、
今この瞬間、自分があらゆるものの全てだ、
自分が全体そのものなのだ、という感じ…。
もはや、自分という表現すら適切ではなく、
〝ひとつのこれ〟としか言い表わせられない。
会社で働いていた頃は、広大な背後の自分と、
思考としての小さな肉体の中の自分との間を、
行ったり来たりしていた。
それが、今では何かに解放されたように、
どんどん広い所へ出てゆく自分が感じられる。
最近、兄貴からひっきりなしに入ってくる、
中国へ発信してゆけ、という直感も、
この夢の世界を変えるため、では決してなく、
そもそも自分が世界そのものだったことを
深く知覚してゆくためであることが今なら解かる。
この世界は幻想で、始まってすらおらず、
自分は今も神の中でくつろいでいる、
というコースの言葉も、
くつろいでいる〝誰か〟がいるわけではなく、
自分はそのくつろいでいる平和で平安な感覚
それそのものだったと智っている、
といった、存在の在り方を言っているのだ。
神の子である〝わたし〟は、
神を〝感じている者〟ではなく、
神である〝感じ〟そのものなのだ。