香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛がいっぱい

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👆 退職金6000万円元公務員友人から

  誕生日プレゼントをもらった。

  ナイキのエアマックス、スポーツサンダル

  愛でできたサンダル…

 

 

数日前の記事では、

 

自分があらゆるものの全てとして存在している、

 

というふうなことを書いたが、今はもっと進化し、

 

自分は光の粒子(=素粒子)そのものだった、と、

 

認識するまでになってきている。

 

それは単なる、

 

概念や考え方からくる形而上学的な理解ではなく、

 

まさに存在の在り方としてそう感じられている。

 

 

自分が光の素粒子それ自体である、

 

という知覚が芽生えてくると、

 

物質世界のことは自由自在にどうにでもできる、

 

という感覚が強くなってくる。

 

例えば、こんなテーブルがほしいな、と思えば、

 

素粒子が、ぐわぐわっ、と波のように動いて、

 

さっとテーブルになる、みたいなイメージである。

 

 

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自分は素粒子をコントロールしている者ではなく、

 

そもそも光そのもの、素粒子そのものなのだ。

 

そういう意味で、自分はテーブルであり、

 

世界であり、宇宙それ自体である、といえる。

 

 

よく、光として存在する、と言われたりするが、

 

それは、自分自身が、陽子や中性子や電子、

 

またもっと小さなクオークやフォトン、といった、

 

素粒子そのもので〝在る〟ことを示唆している。

 

素粒子の本質は、愛と調和、意識と意志であると

 

足立育朗氏は著書『波動の法則』の中で

 

述べているが、僭越ながら、

 

僕がそれに一言付け加えさせていただくならば、

 

素粒子自体が真の自己の反映であると言える。

 

 

自分が光として存在するようになったとき、

 

すべては愛でできていることが体験できる。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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