コロナ防止対策の制限措置として、
全てのジムや娯楽施設がクローズとなり、
飲食店も午後6時までの営業になって以降、
午後3時頃になると近くのカフェへ行って
小説を書き、店が午後6時に閉店になると、
ジョッキークラブへ移動してランニングをして帰る
という毎日を過ごしている。
(※以前よく通っていたカフェは潰れてしまった)
また、それに合わせ、
せっかく有酸素運動をしているのだから、と、
糖質を極力カットをした食事もするようにした。
パン類、麺類、ご飯類、お菓子類、を一切食さず
野菜と肉類と魚類のみを摂る。
もちろん、
トレーナーの指導の下で行なっているのだが、
それで、今日ふと鏡を見たら、なーんと、
腹筋がうーっすら波打っているではないか!!
ひゃっほーい、というわけで、いまはジムで
本格的なトレができない分、この期間は、
体脂肪を減らし、身体を絞ることに集中する。
インスタの動画を見て頂ければお分かりの通り、
幻想的なビルの夜景を眺めながら走っていると、
いつしか軽くハイな状態になり、
美しいなあ、幸せだなあ、有難いなあ、愛だなあ、
という思いが込み上げてくる。
その一方で、これをやらねば、あれもやらねば、
という、現実的な思考も出てくる。
そうやって、タラタラと走りながら感じたのは、
有難いなあ、、愛だなあ、という思いも、
これをやらねば、あれもやらねば、という思いも、
ただその〝有り様(よう)〟が湧き出ているだけで
それを思っている主体(私)はどこにもおらず、
もうこのままで何の問題もない、ということだ。
👇これら近所にあったお気に入りのカフェは
ほとんどがコロナ禍の影響で潰れてしまった
これは椅子でなければ、会社ではこうであらねば、
子供には野菜を食べささねば、歯を磨かねば、
結婚せねば、とまあ、挙げればきりがないが、
そこに〝わたし〟が入ると、途端に苦しくなる。
この〝ねばねば思考〟が問題なのではなく、
問題は、それによって気分が悪くなったり、
苦しくなっている〝わたし〟にある。
僕は、創作をしたり、走ったり、糖質制限をしたり
と、かなりスポ根ねばねばで追い込んではいるが、
気分は悪くないし、苦しくもない。
別にそうでなくてもよくね?
と、悪質ねばねば、を止めてみる。
私がいない、ということへの抵抗、
今このままでいい、ことへの抵抗、
起こっていることへの抵抗、
〝ねばねば教〟の信者をやめてみる。