香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

悶絶!羽生祭り!

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お籠りを終え、今週はゆったりのんびりしている。

 

午後は、近所のカフェで小説の創作をし、

 

夕方からは裏の競馬場でランニングをし、

 

(専用のランニングウェアまで買っちゃった!)

 

夜は、北京オリンピックのフィギュアスケートを

 

見たりしながら過ごしている。

 

 

羽生選手、スケートで生き様を表現している。

 

ショートプログラムの際、ジャンプの瞬間に、

 

別の選手が作った氷の穴にハマり、

 

4回転が1回転となって無得点となってしまった。

.

ジャンプが失敗しても、成功しても、きちんと、

 

その瞬間瞬間を生き切って決着をつけている。

 

三連覇はならなかったが、それでもそれが完璧で

 

その事実で終了している。

 

 

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見えているもの、聞こえているもの、

 

感じているものの〝在りよう〟だけでいると

 

(首の上に乗っかっている世界だけでいると)

どんなことも、今この瞬間に完璧に終わっていて

 

何の問題もなかったことがはっきりしてくる。

 

全ての事が瞬間瞬間に見事に消え去っている。

 

それを、まるで、今もあるかのようにとらえ、

 

苦しんでいることに問題がある。

 

 

すべては最善なんだ、と捉えようとする自分、

 

何かを学び、気づこうとする自分、

 

これはどういうことなんだ、と探りに行く自分、

 

この自分が問題であり、不要である。

 

そういうと、自分を手放そうとしてしまうが、

 

それもまた、探りに行っている。

 

 

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最悪な事態が展開されていても、

 

世にも不運な出来事に見舞われていても、

 

その瞬間の〝存在のあり方〟が神である。

 

もうすでに救われているのだ。

 

 

自分の目に映っている風景や人々は、

 

他の誰かの目を通してみているわけでもない、

 

自分の真実を映し出している自分だけの世界だ。

 

事実そのもの、自分の様子そのまんま、である。

 

そしてそれを見ている自分はどこにもなく、

 

そのあり様そのもの(首の上の世界)だけが、

 

事実であり、愛として表われている。

 

 

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仕事で何か失敗をしてくよくよ気にしていたり、

 

人の意見に左右される自分を嫌悪したりするとき、

 

それでいい、何も起こってない、受け入れるんだ

 

そんな自分はいない、委ねて手放すんだ、

 

とやっている限り、絶対に終われない。

 

言い聞かせている自分が〝いる〟時点で、

 

すでにアウトなのだ。

 

 

くよくよし気にしているその在りようが真実である。

 

恐怖を手放すには、恐怖そのままで悶絶しきること。

 

嫌悪して悶絶している自分を生き切っているとき、

 

そこに個人の自分は存在せず、ありのままが現れる。