香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

決着済みの世界

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〝春節お籠り1日15時間瞑想祭り〟のあと、

 

自分というものがポーンと抜け落ちてしまった。

 

全ては今この瞬間に完全決着していて、

 

完璧に終わっていて、何の問題もない、

 

ということがはっきりしたまま生きている。

 

気づいている意識とか、神の愛を感じている自分

 

というような〝見ている主体〟がなくなってしまい、

 

真実それ自体(神)の活動だけがただ在る。

 

しかし、こうやって書いてしまった時点で、

 

在ると言っている誰かが顕われてしまい、

 

すでに真実ではなくなっているのだが…。

 

そしてここが形而上学での学びの限界となる。

 

 

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完全に〝自分という認識〟が落ち切ることなく、

 

全てがここにあって、僕たちはすでに天国にいる

 

などと言っても意味がない。

 

そんな〝私〟など、どこにもいない、

 

とやればやるほど真実から遠ざかることが、

 

今回はっきりしたのだ。

 

父が待つ故郷へ永遠に帰還した、と思ったら、

 

それもまた夢でした、みたいな…。

 

 

頭だけ(形而上学だけ)の理解で進んでしまうと、

 

このループに陥ってしまう危険をはらんでいる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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見えているもの、聞こえているもの、匂ってるもの

 

思っているもの、感じているもの、味わってるもの

 

そこに天国の真相がむき出しになっている。

 

僕たちは、

 

見えているものを、聞こえているものを、

 

私がみている、私が聞いているにすり替え、

 

それらの完璧な神の活動に対して、

 

気に入らん、苦しい、変えたい、とやっている。

 

しかし真実は、気に入らん、苦しい、変えたい、

 

それだけでもうカタがついている。

 

何も変える必要がない。