香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

苦しみの真相

 

 

問題を抱えて悩んでいる時というのは、どうしても

 

それを何とかするために行動してしまいがちだが、

 

行動の前に、何らかの体感があるはずである。

 

 

仕事でまたミスするのではと思えば不安になり、

 

病気のことを考えれば怖くて夜も眠れず、

 

大嫌いなアイツの顔が浮かんでは怒りに震え、

 

お金のことを考えただけで憂鬱でたまらない。

 

 

仕事、人間関係、健康、家族問題、お金、愛情、

 

など、みんな何かしら問題を抱えているものだが、

 

大抵は、それらの問題を概念や考え方で捉え、

 

どうすればいいかと、頭で悩んでいることが多い。

 

これがスピ兄弟だと、赦したり、統合したり、

 

全てを受け入れてみたり、観方を変えてみたり、

 

感謝をしてみたり、と、様々な実践をしたりするが、

 

それでも、モヤモヤは失せない。

 

 

こんなとき、

 

やり方に頼って何とかしようとしても無駄で、

 

過去の知識や未来への推測を起点に

 

今自分が直面している問題に対処しようとすればするほど

 

〝今この瞬間の平安〟からずり落ちていってしまう。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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不安に襲われ、嫌な気持ちになる、と言うが、

 

何を以って不安や嫌な感じと言っているのかというと、

 

そのもとになっているのは〝体感〟である。

 

明日仕事行くの嫌だなあ、という思いがある時、

 

胃のあたりにきゅっと収縮する感覚があったり、

 

ムカムカイライラしている時、毒素のような塊が

 

胸全体を覆っていたり、不安感に襲われると、

 

みぞおちがドキドキざわついていたり、と、

 

肉体のどこかで感覚として捉えている

 

〝疼き〟があるのだ。

 

その不快な感覚が、僕たちを対処へと駆り立てる。

 

でも、落ち着いてよく見てみると、

 

自殺しかねないような人生の苦しみも、

 

この体感だけにフォーカスしてみると、

 

ただみぞおちのザワザワゾワゾワだったり、

 

ただ頭がギンギンしているだけだったりする。

 

そしてその不快な体感が、思考や状況と結びつき、

 

苦しみという〝イメージ〟となって顕われている。

 

 

こうして、体感だけにフォーカスしている時、

 

僕たちは紛れもなく今この瞬間にいる。

 

その証拠に、強烈に歯が痛い時や胃が痛い時、

 

体感は「痛い痛い、いたーい!」のみで、

 

もう、他の事は何も考えられないはずだからだ。

 

 

そうやって、考え方の前にある、

 

今この瞬間の営みが体感となって顕われていることを

 

明確にすることが〝今この瞬間を赦す〟ことになる。

 

そういう意味では、

 

ヴィパッサナーでお釈迦様が悟ったというのも、

 

なんだか頷ける気がする。