👆毎日暑いので涼しいカフェで書き物をする
で、今日いつものように書き物をしていたら
眼前の風景が完全なヴァーチャルに見え、
本当にこれはまやかしだ、と思えた瞬間があった
これについてはまた次回の記事で…。
いま、僕は何にも属さないニュートラルな状態にいる。
今日中に提出せねばならない報告書のことで焦ったり、
明日の会議のことを考えて夜も眠れなかったり、
問題がある部下について悩んだり、することもなく、
自分以外のことで思い煩うことがまったくない。
いわば、過去の延長線上でない自分で存在している。
365度、どの方向へも進める地点に立っているのだ。
兄貴は粘り強く、何度も何度も僕の抵抗に遭いながら、
このニュートラルな地点にまで僕を戻してくれた。
半世紀以上、この夢の世界にログインをしていると、
自分がやっている人生ゲームのパターンが判ってくる。
ゲームの流れを大きく変える〝勝負ポイント〟が、
ある年齢の要所要所に設けられていて、
そこをクリアできなければ、何度でもやってくる。
兄貴は、そんな自我の設定を使って、
僕達を〝アガリ〟(GAME OVER)へと導こうとしている。
👆 みーんな波に戻り、二度と会わない
(会ってもそれは違う人)
僕の人生における勝負ポイントはこうだ。
大学を卒業する時、就職するか作家になるかで悩んだ。
そして、当時はバブル全盛の頃でもあり、
冬の初ボーナス120万円に惹かれ、迷わず就職した。
しかし、4年後、会社勤めの窮屈さに耐えられず、
北京と広東省に留学することを思い立ち、実行する。
3年間の留学を終えた僕は、外国で暮らしたいと考え、
駐在員の仕事限定で就活をしたのち、香港駐在となる。
8年後、日本帰任を命じられたが、
まだ香港にいたかった僕はその会社をあっさり辞めて、
知り合いの紹介で香港大学の講師になった。
理由は、夏休みと冬休みで合計4か月の休みがあり、
一週間に9コマ教えるだけで月給40万円だったからだ。
この長期休暇を利用して、毎年夏休みには、
ベトナムのハノイ大学へ短期留学をしていた。
まあ、ちょっとした人生の夏休みだと気軽に考えていて、
暫くしたら、またどこかに就職すればいいと思っていた。
講師になって5年後、もういいかなと講師の職を辞し、
以前と同じように就職活動をしたら、すっとこどっこい、
リーマンショックで、どこを探しても職がないのだった。
貯金は目減りしてゆくし、家賃も払わねばならない。
ドキドキバクバクの半鬱状態で悶々としていた。
もうダメっ~、もう限界っ~、となったとき、
前職の会社に採用になり、ことなきを得た。
思えば、会社は自分にとっての安全地帯なのだった。
会社員生活に我慢できず、その枠から飛び出すと、
強烈な不安感に襲われ、また会社へと戻ってくる。
しかし、再び嫌気がさして組織を飛び出すのだが、
自由になった途端に怖くなって檻の中へと舞い戻る。
檻の中に耐えられない👉しばし檻から出て自由を満喫
👉怖くなり檻へ舞い戻る👉再び苦しくなり檻を出る
これが僕の勝負ポイントであり、
毎回これを数年単位でリピートリピートしてきた。
しかし、今回はもう、檻へ戻ることはなさそうである。
前回とは預金残高が違うということもあるが(笑)(笑)
ここ10年、たくさんのスピ兄弟たちに出会い、
何があっても大丈夫な自分になれたことと、
多様な生き方が受け入れられるようになった時代性も
僕を新たな場面へシフトさせる要因となっている。
えっ? 他にも要因があるって?
その年齢じゃもうどこにも雇って貰えないからだって?
ボーン、ボーン、おお当た~り~っ!
👇 いろいろ苦しんでいたあのころ
今回は失業保険をまるまるもらおうと思っているため、
(バカ高い社会保険料を払い続けた元をとるのだ!)
少なくとも、今年いっぱいは働かないつもりである。
で、この貴重なゼロポイントの時間を、
ただ、ジムでの筋トレと小説創作だけに費やしても
もったいないので、将来への投資をすることにした。
以前も書いたがコロナが終息するだろう来年の春辺り
台湾へ移住しようと考えている。(いまは、だが…)
それで、台湾語(福建語)を習いに行こう、と閃いた。
(台湾は北京語が通じるが、台湾語もメインである)
語学学校などを検索しているとなんかワクワクしてきて
ベトナム語ももう一度習い直そうと思うようになった。
とまあ、夢のVRゲームに絶賛ログイン中の僕であるが、
着々と永久ログアウトのその瞬間へと進んでいる。