香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

檻と保険

 

 

もういい加減、うんざりしているにもかかわらず、

 

それは今の自分にとって都合の良い環境であり、

 

なんとかそれらの環境は手放さずに、

 

密かに望んでいる本当の願望を現実させたい、

 

と思ったことはないだろうか。

 

僕はある。何度もある。しかし、それは成功しなかった。

 

 

例えば、俳優として成功したい公務員の人がいたとして、

 

安定した公務員の職はそのままで、先ずは劇団に入り、

 

あわよくば俳優としてもブレイクしようと思っていたり、

 

会社に勤めつつ売れっ子作家になりたい(👈僕)

 

と望んでいたり、など、要は、夢が叶い、

 

これで絶対やっていけるという保証を得た時点で、

 

公務員や会社員という保険を捨てようと目論んでいる。

 

いわば、本当にやりたいことを新たな保険とし、

 

それが、絶対大丈夫な保険であると確信できたら、

 

古い保険を解約してもよい、と考えているのだ。

 

しかし、大抵はそう上手くはいかない。

 

なぜなら、命綱をしっかり握って離さない時点で、

 

他の可能性を信じていないことになるからだ。

 

不安と恐怖から保険を手放させない、

 

この信念こそが〝自ら作った檻〟の本質である。

 

 

そして、檻から出ようと決心した時、必ずや、

 

保険を手放した時の不安や恐怖と対峙することとなる。

 

また、この怖さに耐えきれなくなり、

 

〝別に今でなくてもいっか〟と先送りしてしまう。

 

このことを〝今から逃げる〟といい、

 

それはまさに以前の僕だった。

 

 

聖霊兄貴は檻から出るために導いてはくれるが、

 

この不安や恐怖を消してくれるわけではない。

 

ましてや、兄貴が檻から出してくれるわけでもない。

 

檻から安全に出るためのマニュアルなんかもない。

 

ただ 「ひえぇーっ、ぐえーっ、おえっ、あびぶーぅ…」 

 

と、吐きそうになりながらのたうち回るしかないのだ。

 

 

じゃあ、

 

檻から出る、保険を手放す、ってどういうこっちゃねん、

 

という話なのだが、それは、信念を変える、ことである。

 

 

僕が、かつて信じていた信念を例に挙げれば、

 

・自分は会社員以外の職ではお金が稼げない

 

・一番よりも二番手や三番手の方が自分に合っている

 

・五十歳をすぎると、できる仕事(可能性)は限られる

 

・自分の小説は大手出版社からは出版されない

 

・プラプラしてたら金がなくなって最後は野垂れ死ぬ

 

とまあ、いまとっさに思いつくのはこんな感じか。

 

そしてこれが僕の創った〝幻想の檻〟である。

 

書いていて気付いたのだが、

 

これって大部分が、親からの刷り込みだと判った。

 

 

でも、本当にそうなんだろうか、本当に?本当に?

 

そうじゃない可能性だってあるじゃん!

 

本当はそうでないかもしれないじゃん、と兄貴は言う。

 

例えば、ZOOMでリトリートを開催したら盛況で、

 

いつしか、並木さんみたいになっちゃった(ウケる!)

 

とか、飲み屋で知り合った人が大手出版社の人で、

 

奇跡のように出版が決まった、可能性は無限にある。

 

 

そう、妄想するのはタダではないか。

 

しかし、そんな妄想をした時、

 

微かに出る〝ウキッ〟となる感覚は真実である。

 

それが神の感じであり、檻を出るためのカギである。

 

 

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と、ここまで、引き寄せっぽい方法論を述べてきたが、

 

檻を出たその先には、愛され、赦され、

 

救われきった真実が、すでにここで展開している。

 

矛盾しているが、檻を出た瞬間に、

 

出るべき檻も、檻から出るべき自分も、

 

はなから存在しなかったことを智るのである。

 

こうして最後は、

 

知ることのできないもの(実相/神)がつまびらかになる。

 

しかし、ひとっ飛びにそこへは行けない。

 

まずは〝信念を変える〟ことからはじめる。

 

だから、瞑想をしたり、奇跡講座を学んだり、

 

バシャールに耳を傾けたり、統合したりしながら、

 

一歩一歩、進んでゆくのである。