もういい加減、うんざりしているにもかかわらず、
それは今の自分にとって都合の良い環境であり、
なんとかそれらの環境は手放さずに、
密かに望んでいる本当の願望を現実させたい、
と思ったことはないだろうか。
僕はある。何度もある。しかし、それは成功しなかった。
例えば、俳優として成功したい公務員の人がいたとして、
安定した公務員の職はそのままで、先ずは劇団に入り、
あわよくば俳優としてもブレイクしようと思っていたり、
会社に勤めつつ売れっ子作家になりたい(👈僕)
と望んでいたり、など、要は、夢が叶い、
これで絶対やっていけるという保証を得た時点で、
公務員や会社員という保険を捨てようと目論んでいる。
いわば、本当にやりたいことを新たな保険とし、
それが、絶対大丈夫な保険であると確信できたら、
古い保険を解約してもよい、と考えているのだ。
しかし、大抵はそう上手くはいかない。
なぜなら、命綱をしっかり握って離さない時点で、
他の可能性を信じていないことになるからだ。
不安と恐怖から保険を手放させない、
この信念こそが〝自ら作った檻〟の本質である。
そして、檻から出ようと決心した時、必ずや、
保険を手放した時の不安や恐怖と対峙することとなる。
また、この怖さに耐えきれなくなり、
〝別に今でなくてもいっか〟と先送りしてしまう。
このことを〝今から逃げる〟といい、
それはまさに以前の僕だった。
聖霊兄貴は檻から出るために導いてはくれるが、
この不安や恐怖を消してくれるわけではない。
ましてや、兄貴が檻から出してくれるわけでもない。
檻から安全に出るためのマニュアルなんかもない。
ただ 「ひえぇーっ、ぐえーっ、おえっ、あびぶーぅ…」
と、吐きそうになりながらのたうち回るしかないのだ。
じゃあ、
檻から出る、保険を手放す、ってどういうこっちゃねん、
という話なのだが、それは、信念を変える、ことである。
僕が、かつて信じていた信念を例に挙げれば、
・自分は会社員以外の職ではお金が稼げない
・一番よりも二番手や三番手の方が自分に合っている
・五十歳をすぎると、できる仕事(可能性)は限られる
・自分の小説は大手出版社からは出版されない
・プラプラしてたら金がなくなって最後は野垂れ死ぬ
とまあ、いまとっさに思いつくのはこんな感じか。
そしてこれが僕の創った〝幻想の檻〟である。
書いていて気付いたのだが、
これって大部分が、親からの刷り込みだと判った。
でも、本当にそうなんだろうか、本当に?本当に?
そうじゃない可能性だってあるじゃん!
本当はそうでないかもしれないじゃん、と兄貴は言う。
例えば、ZOOMでリトリートを開催したら盛況で、
いつしか、並木さんみたいになっちゃった(ウケる!)
とか、飲み屋で知り合った人が大手出版社の人で、
奇跡のように出版が決まった、可能性は無限にある。
そう、妄想するのはタダではないか。
しかし、そんな妄想をした時、
微かに出る〝ウキッ〟となる感覚は真実である。
それが神の感じであり、檻を出るためのカギである。
と、ここまで、引き寄せっぽい方法論を述べてきたが、
檻を出たその先には、愛され、赦され、
救われきった真実が、すでにここで展開している。
矛盾しているが、檻を出た瞬間に、
出るべき檻も、檻から出るべき自分も、
はなから存在しなかったことを智るのである。
こうして最後は、
知ることのできないもの(実相/神)がつまびらかになる。
しかし、ひとっ飛びにそこへは行けない。
まずは〝信念を変える〟ことからはじめる。
だから、瞑想をしたり、奇跡講座を学んだり、
バシャールに耳を傾けたり、統合したりしながら、
一歩一歩、進んでゆくのである。