👆 日本の空って、きれいだなあ
「聖霊、この有ると思っている罪悪感を訂正して下さい」
「聖霊、私には何もわかりません。だから助けて下さい」
「聖霊、ここへ来てわたしを導いてください」
このブログを始めた頃の赦しはこんな感じで、
めちゃくちゃ兄貴に〝指示〟しまくっていた。
師事ではない。(笑)(爆)
しかし、いまはもう、
背後へ開き、思いを捧げ、神の愛を受け入れる、
ただこれだけになっている。
解釈無しで、直に、兄貴へ捧げ続けている。
出てきたものをいじらず、ただそのまま、
距離ゼロで、開きっぱなしの、渡しっぱなしである。
しかし、他の奇跡講座の教師にせよ、
スピのマスターにせよ、非二元のスピーカーにせよ、
全て理解した後の究極の部分だけを口にし、
そこへ至った〝すったもんだ〟を語りたがらない。
「あるきつい現実が起こってね、そこからなんちゃら」
と、ぼやかしながら上手く真理に繋げる。(プロ!)
または、過去のことを忘れてしまっていたりする。
僕もそうだ。(って、僕はマスターでも何でもないが)
日常の些細な出来事や心の動きを、
写真付きで、リアルに綴ったこのブログがなければ、
二度と思い出されることもなく、
あったことさえも忘れ去られていただろう。
9年間の、過去の記事を読み返して思うのは、
その時代時代ですったもんだしながらも(今もそうだが)
それで完璧に赦され、導かれていたという事実である。
なのでもし、自分は、言われた通りにできていない、
まだこんなレベルにいる、またしくってしまった、
と思ったとしても全然オーケーだ。
住んでるところも、家庭環境も、性格も違うのだから、
ひとそれぞれ、
目醒めるプロセスが違っていて当然なのだ。
今この瞬間の自分を肯定していること、
それが、実相を、兄貴を、神を肯定していることとなる。