大阪市内への引っ越しが1週間後に迫る中、
調理器具や、食器や、寝具類などを見て回っている。
見ているうち「引っ越しを機に生活も一新するのだあ」
とばかりに、洋服や帽子や靴なんかも買っちゃおー、
みたいになってきて、ハッと我に返るボクである。
今回の部屋は、家具と家電が揃っているので、
本当に私物を持ち込むだけで生活ができてしまう。
それに、なるべくモノを増やしたくないので、
夏物の衣服や、今使わないモノは実家に置いてゆき、
逆に、トイレットペーパーやティッシュや洗剤やタオル
なんかは、実家からペチッてゆく作戦だ。(👈セコッ!)
それでも、引っ越しのためにお金は使ってゆくわけで、
ただ、漫然とお金を払うのもどうだかなあ、と思い、
今回、あることを実行してみることにした。
僕はこれまで、あまり気にせずお金を使ってきた。
バブル気質が抜けきらないのだ。
しかし、僕はいまセミリタイア中なので、
十分な蓄えはあるものの、当然お金を使えば減る。
この時、今後自分はどのようにお金を使うべきか、
初めてお金について真面目に考えてみたのだ。
そして、素粒子的な観点から見れば、
お金は使っても、減ってはいないことに気づいた。
3千円でモノを買えば、3千円がなくなったのではなく、
この3千円の素粒子が、もやもやもやと形を変え、
同等の価値ある〝モノ〟に変わっただけだ。
エネルギー的にはプラマイゼロであり、
そのモノ(またはサービス)に喜びを感じられれば、
それが、付加された価値の素粒子エネルギーとなり、
そのエネルギーが次への呼び水となる。
なんとも引き寄せチックな話だが、これは正しいと思う。
赦しだ、悟りだ、世界は幻想だ、と言ったって、
実際、毎日財布からお金を出して使っているのだから、
どうせなら〝いい気分でお金を使う〟べきだ。
僕の場合、どうするかというと、お金を支払う時、
お金と、得られたもの(商品やサービス)が、
同じものだと認識してから支払う。
払うより、得ることの方にフォーカスをするのだ。
コーヒー一杯に300円払うのなら、
300円を払ってコーヒーを得た、ではなく、
300円がコーヒーに変化した、と知覚する。
こうやって、
コーヒーに変化した300円を、悦んで味わう。
ありがとうと言いながら愛を以ってお金を払い、
ありがとうと慈しみながら変化したモノを味わう。
これをレジで支払いをする度に繰り返す。
よくは知らないが、多分、引き寄せの法則とかでも、
こんなことをやるんじゃないかなあ?
ただし、お金が入ってくるためにやるのではなく、
純粋に、ただ気分よくお金を使うためにやる。
特に僕は、
バブル感覚で無意識にお金を使ってしまうので、
一回立ち止まって、自分は何を買おうとしているのか、
を認識することは、とても大切なプロセスなのだ。
モノを買ったり、サービスを提供してもらう行為が、
エネルギーのやり取りとして認識されくると、
金額と得るモノのエネルギーが同等となるよう
中身をちゃんと吟味して買い物をするようになった。
安いから買う、なんとなく買う、というのではなく、
熱量(大好きの度合い)を重視するようになったのだ。
というわけで、お金についてのあれこれを書いたが、
この記録も、10年後読み返した時にどう感じるのか、
楽しみだ。