👆 マシンの充実度半端ない
10月から、梅田のゴールドジムが使えるようになり、
それで早速、昨日深夜1時に電動自転車を飛ばし、
深夜筋トレをしに行ってきた。
土曜の夜だけあり、曽根崎から茶屋町の辺りは、
酔っぱらって騒ぐ若い子らでごった返していた。
実家暮らしだった時は、夜7時には帰宅していたので、
こういう光景は本当に久しぶりだ。
終電を急ぐ人達の中を自転車で通り過ぎながら、
「俺は今、大都会のど真ん中で暮らして、るうぅーっ!」
という単純な感動を覚えつつ、ジムへと向かった。
更衣室でウェアに着替え、トレを始める。
深夜のフロアに人影は5~6人といったところか。
老舗の店舗だけあって、マシンにも年季が入っている。
深夜なので、あまりうるさいことも言われない。
高槻店の時は、ダンベルは移動させてはいけないとか、
マシンの使用後は消毒するとか、鼻マスクはだめとか、
トレッドミル使用は30分までとか、いちいちウザかった。
👆 家から大阪の中心まで自転車で五分ですの
おーほほほほっ!
たっぷり2時間、胸を中心に鍛えた。
周囲にあるマシンや、窓から見える摩天楼や、
高重量でトレをする人の〝うおっ〟という唸り声や、
エアコンと鉄さびの入り混じった匂いや、
筋肉に感じる疲労感、といった〝5感の在る〟に
委ねていると、次第にそれそのものとなり、
〝今この瞬間の自分には何の問題もない感〟
に凌駕されはじめた。
見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、
たちが、全力で何の問題もないと告げている。
なのに、こんな見え方は嫌や、こんなん聞きたくない、
寒すぎる暑すぎる、この人よりあの人の方がいい、
と、全力で今の現われから逃げようとする。
見事なくらい顕われそのものを受け容れようとしない。
今の顕われに触れようとしないのだ。
何の問題もない今は愛に満ちている。
深夜三時半、筋トレを終え、再び自転車で家路につく。
大阪の新宿二丁目と呼ばれる堂山の通りでは、
遊び疲れたゲイの男の子たちが大勢たむろしていた。
と突然「おにいさーん!私を乗せてってーっ!」と、
幾人かの酔っぱらった男の子たちが、どわーっ、と
こちらに向かって駆け寄ってきたので、全力で逃げた。
逃げ切った後、愛が駆け寄ってきていたことに気づき、
すっごく幸せな気持ちに包まれた。
こんな感じで、僕の都会生活は始まった。
たとえ今のこの顕われが、
どんなに悲惨なものであっても、なんの解釈もせず、
その顕われに委ね切って過ごしていると、
自然に物事はなるようになってゆく。
そう、問題は解釈だけだった。