今の僕は、全く以って、
どの組織にも属していないことに、さっき気づいた。
こんなの、人生の中で初めてかもしれない。
学校、企業、役職、サークル、コミュニティー、家庭、
など、以前は、これがあるから私が私でいられる、
みたいな、ステータスのようなものがあった。
それはスピリチュアルの世界も例外ではなかった。
僕の場合、関野あやこさんのアンフィニを経て、
奇跡講座を学ぶようになったわけだが、
奇跡講座の中でも、ワプニック派、ゲイリー派、
デイヴィッド派、と様々なカテゴリー(流派)があり、
それぞれのカテゴリーの中でも、
幾人ものマスターが様々な発信をしていたりする。
で、僕は、ハレ師匠がゲイリー派だったので、
自然とそちら系で学んでいた。
しかし、途中からは、愛の法悦状態になったり、
光の磁場が見えたり、兄貴が現われたり、と、
ひとつのチャンネルだけでは収まりがきかなくなり、
非二元、奇跡講座、悟り、アニータ、量子論、禅の高僧、
ヴィパッサナー、など、同時多発的に色々学びだした。
そして、それでよかった、と感じている。
全てから解放されるためにスピを始めたのに、結局、
どこかのマスターや何かのカテゴリーに属することで、
属した場所の定義であらゆる物事を考えるようになる。
例えば、奇跡講座の誰々さんを信じたら、
その理論に全てを当てはめて行動しようとするので、
それに当てはまらないものは〝違う〟となってしまう。
そして、
自分の中から出てきた矛盾点を解決しようとして、
A何某が言っていることが正しいのかどうかを、
わざわざB何某に訊いて確認しようとしたりする。
そんなのおかしい、と思った。
誰かから〝それは違うんです〟と言われたとしても、
それはその人が属する流派の中での〝正義〟であり、
本当はどうかなんて誰にも分からない。
職場にせよ、学校にせよ、国家にせよ、
スピコミュニティーにせよ、どこかに属した時点で、
そこが正義だと主張しているものが、
真実となってしまう。
何かに属する、とはそういうことである。
そして、
何にも属さなくなった今の自分に分かったことは、
自分はあらゆるものに属しているという真実である。