批判を恐れずはっきり言うなら、会社という場所は
紛れもなく、自我の集合体だと断言できる。
もちろん、僕が言っている会社というのは、
巷にバッコしている旧態依然とした企業を指す。
先ず、会社では、自分は何も決められない。
決裁権を持っている部長クラスの人であっても、
常にその上長や顧客に指示をあおぎ、
または、社内規則を考慮して行動する。
そして、こういった、
ただ指示に従って動くことに安定を見出し、
安心できる人だけが、基本会社の一員となる。
会社には、やりたくないことをしない自由や、
一緒にいたくない人といない自由がないのだ。
人生の大半をこんな環境下で過ごしてきた、
と思えば、自分に対して驚異さえ感じるほどだ。
よくこんなところでやってこれたと思う。
〝目覚めない〟と〝決断〟している集団の中で
自分だけが無限の光へと向かい始めると、
間違いなく苦しむことになる。
集団の意識の流れに逆らって進もうとするため、
自分の中で、ものすごい抵抗と葛藤が生じる。
具体的には、突然自分の評価が下がったり、
仕事が増えて過労でダウンしてしまったり、
なにか大きな失敗をして罪悪感を感じるような
ある意味、もうここではやって行けなくなるような、
ネガティブな出来事が続発したりする。
自分の中が愛で満たされ始めると、最初の頃は、
皆が優しくなったり、環境が穏やかになったりして
スクリーンにも愛が反映し始め、
ひゃっほーいとなるのだが、それでもさらに、
無限の全体へとアクセルをふかし始めると、
今度は逆に、様々な〝問題〟を起こして、
なんとか、
今いる場所から離脱させようとする。
なぜなら、居心地がいいままだと、いつまでも、
この場所から動こうとはしないからだ。
そして、
これらの事は全部、自分が自分にやっている、
僕はもう、
自分で自分の〝世界〟を創造してゆくと決めた。
それは、思い切り自由に無限の光を表現しても、
誰からも何も言われない世界だ。
もちろん、
この世界は幻想であることも分かっている。
しかし、自分を赦すとは、
まず自分自身を癒すことだ、と思うのだ。
この幻想の世界が愛で満たされて初めて、
赦しは完結し、幻想は消える。
それにしても、今の10代や20代の若い人達って
今後は、
会社に縛られない生き方をしてゆくのだろうな。
僕が今勤めている会社の大阪本社では、
毎年多くの新卒を採用しているにもかかわらず、
28歳以下の正社員は二人しかいないという。
別段、特別何か嫌なことなどがなくても、
ここは自分に合わない、と思ったら、
さっさと辞めていくそうだ。
そして、それでいい、と思うのだ。
だって、一生の大半を過ごす場所なのだし、
僕達はもう、一秒一秒死んでいっているのだから
嫌なこともあるけどまあまあオーケーな場所に、
無理やり自分を詰めこむ必要などない。
何より、ぼくたちはそんな存在ではないのだ。