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先週の日曜日から、
日本語教師の資格を取るためのクラスが始まった。
今後、来年4月までの半年間、
火曜と木曜の6時半から9時半までの3時間と、
日曜日は朝9時から夜6時までの8時間、
みっちり授業が組まれている。
他の学校では、殆どがウェブ授業を取り入れており、
欠席しても振替授業が用意されていたりする。
しかし、この学校は完全な対面授業の上、
15分以上の遅刻は欠席とみなされる。
僕は学校まで、自転車で15分ほどの所に住んでいる
ので特に問題はないが、
お勤めをしている人にとっての6時半始まりは、
毎回、かなりな攻防戦になると思う。
それに他の学校はウェブで1~2回模擬授業をすれば
単位が貰えるのに対し、ここは、1人10回以上、
実践授業をして、教師のダメ出しを受けねばならない。
と、こんな感じでかなりなスポコン、体育会系である。
こんなに厳しいのも、この学校は生涯学習財団という
非営利団体が主催しており、即戦力になる教師を、
即座に現場に送り込むことを目的としているからだ。
生徒は総勢26名で20代から70代の人まで様々だ。
職業も、会社員あり、年金暮らしの人あり、公務員あり
専業主婦あり、で、学ぶ目的もまた多岐にわたる。
講師陣も、
台湾や、タイや、ミャンマーなどで教えてこられた、
百戦錬磨のベテランの先生ばかりで、
みなユーモアがあり熱心だ。
先生は、僕たち一人一人に自己紹介をさせたり、
グループディスカッションを何度もさせたりして、
生徒同士が仲良くなれるよう努力されていた。
授業が終わるころには、みんなかなり打ち解けていて、
これから、かなりハードな半年間が始まると思うが、
なんとかこの26名で乗り越えてゆけそうである。
人生を生きていると、自分が決めた事に対して、
「ああ、この決断シクったかも」と後悔することがある。
それは、結婚相手を決める際の大きな決断から、
夕食の食材を選ぶ時の小さな決断まで、いろいろだ。
僕も今回、日本語教師の学校に通うことに対して、
「ああ、やめとけばよかった」と、何度も後悔した。
「授業料のン十万円があったら香港へ何回行ける?」
「本当に日本語教師になりたいのだろうか?」
「愛か恐れかで言えば、将来への恐れから選んだ?」
授業料を振り込んでから何度も思った。
前回の記事でも書いたが、
それを決めた時の自分は、今の自分とは別物であり
その瞬間に跡形もなく消え去ってしまっているのだが、
当時の自分が決断した事の結果は今ここにある。
そして、僕はそれでいいと思うのだ。
シクった、という思いが〝今の自分〟から出てきても
今の僕ではない当時の僕は、その時のその瞬間、
精一杯考え、一生懸命迷い、完璧に決めたのだ。
だから、その時の自分を100%信頼すべきである。
間違った決断なんて何ひとつしていない。
すべてを引き受け、今に開いて抵抗せず、
そのままの流れを許容する、とはそういうことであり、
それが、過去を赦す、ということの実践的意味である。
その結果、
やっぱりやーんぴっ、と、今の自分が決めたなら、
それはそれでオーケーである。
なぜなら、
今の自分は当時の自分ではないのだから…。