👆モンブランが無性に食べたくなる
神を味わう!
以前もチラっと書いたが、
今、日本語教師の講座を取るかどうか迷っている。
この養成講座は、生涯学習財団が主催しており、
他の学校が1年かけて終えるカリキュラムを、
半年で終わらせ、教師の資格を取るというものだ。
火曜と木曜の夜3時間づつと、日曜に8時間、
週14時間のカリキュラムを420時間こなす。
30人クラスで、80%以上の出席率が必要だ。
最初は、日本語教師になる勉強をすることは、
小説を書く上でも、海外に移住した際にも、
きっと役に立つ、と軽い気持ちでいたのだが、
このスケジュールはハードすぎる、と思った。
説明会では、授業にきちんと出席していれば、
試験で落ちることはほとんどないと言われたが、
やはり、予習復習も必要になるだろうし、
小説創作に集中できなくなるのではないか、
また、香港や台湾へ行く時間も無くなるのではないか、
と、ここへ来て躊躇しているのだ。
まあ、迷っていると言っても、出てきた迷いの全てを、
距離ゼロで兄貴に捧げてしまっているので、
どうしよう、こうしよう、というようなことではない。
「お前はそもそも本当に日本語教師になりたいのか?」
「本当にやりたいのなら、どんなに勉強がきつくても、
何の迷いもなく、やるはずではないのか?」
「小説創作だけをして暮らすことに不安を感じて、
その逃げ道として日本語教師を選んだのだろう?」
兄貴に捧げる想いを言葉にすれば、こんな感じか。
ふっと勝手に出てきては消えてゆく想い…。
一旦、対峙して、後はガン無視スルーで、送る。
この思いを感じて、焦燥感に囚われることはない。
迷っているのなら迷っている想いのまま、
何らかの背後(兄貴)からの智覚がくるまでは、
背後に渡し切って、じっと動かず、何もせずにいる。
で、学費の振り込み期日が過ぎてしまっても、
ま、いっか、と、そのままにしているのだが、
決着をつけるのは僕ではなく、きっと、
その時の今だ、と思うから…。
で、そのことを、たまたま妹に話したら、
「私も20年前に日本語教師の学校に通ってたで。
その後すぐ結婚したから試験は受けてないけど、
日本語は、もとから自分が話してる言語やから、
お兄ちゃんやったら語学も堪能やし、
外国の人の悩みも聞いてあげられるやろうし、
フルタイムで働いてるわけでもないから、
そんな言うほど大変ではないと思うよ。大丈夫や!」
とアドバイスをもらった。
机、椅子、一杯のコーヒー、今日食べたランチ、
もらったお土産、テレビで聞いた一言、あの人の笑顔、
兄貴の想いは、夢の世界のそこここに反映されている。
ちゃんと今この瞬間を〝感じ〟られていると、
全てを兄貴の見方で捉えられるようになってくる。
(※捉えるようにしよう、ではない)
それが兄貴を信頼するということであり、
兄貴からのメッセージである。
よっしゃ!
半年間、いっちょやってみっか!