香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

同宗他派

 

 

僕の場合、スピリチュアル的なことにせよ、

 

他の何にせよ、自分が信じているものを基準にして、

 

それと同じカテゴリーに位置する他のものを、

 

それは違うんですよ、と安易に否定するのが嫌である。

 

また、安易に同宗他派(笑)の誰かを指して、

 

(※同宗他派:例えるなら、同じ奇跡講座の中の、

  ナンチャラ派とコンチャラ派、みたいな感じのこと)

 

「別にそれがダメだと言っている訳ではないけれど…」

 

と前置きしたうえで否定したりするのも良しとしない。

 

 

どういうことかというと、

 

例えば僕は、自分が純粋非二元を実践していて、

 

非二元の人の言っていることが違うんじゃないかな、

 

と思った時、安易に違う、と決めつけるのがイヤで、

 

必ず、これだと思う非二元や悟りの導師の所に行き、

 

ちゃんと〝本当はどうか〟を見極めた上で否定しないと

 

納得できないタチなのである。

 

結果、これは違う、と完全否定できた

 

同宗他派のマスターは一人もいなかった。

 

まあ、ヘンな人の所には行かなかったこともあるが、

 

中身をきちんと学んでみると、みんな表現こそ違えど、

 

そこにはちゃんと〝愛〟があることが〝体感〟できた。

 

 

 

 

それぞれが何を語っているかは問題ではなくて、

 

AマスターとBマスターが全く逆のことを言っていても、

 

なんら差し支えがない。

 

大切なのは、どんなことを言っているのかではなく、

 

その裏に流れている〝想い〟(感じ)の方向性である。

 

 

政治家の発言や不祥事を起こした芸能人の記者会見も

 

裏に流れている〝想いの感じ〟を観ていると、

 

自然に本当のことを言っているかどうかがわかる。

 

僕らには本物を察知する力が備わっているのだ。

 

 

 

 

また、自分が信じるスピには出ていなくても、

 

量子力学をスピの角度から学んでみると、

 

神の想い(ハートの想念)が、フォトンという形で、

 

見えているものや、聞こえているものの中に、

 

顕れてくる仕組みがよく理解できたりする。

 

 

何が言いたのかというと、スピを学んでゆく上で、

 

自分が信じているカテゴリーや信奉するマスター、

 

属しているコミュニティーだけを基準にして、

 

他を云々するのは非常に危険だ、ということだ。

 

その他にも、例えば、

 

私はデイヴィッドの奇跡講座を実践しているけれど、

 

他のことをやっている人にも、

 

其々の導きがあるので否定はしません、

 

というようなスタンスも同様に危険だと思う。

 

こう言うと、私はそんなことは思っていない、

 

と反論されるかもしれないが、みんな案外、

 

無意識のうちに〝同宗他派否定〟をやっている。

 

 

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固執する、執着する、のは自我である。

 

それを無意識(👈ここ非常に重要)のうちに、

 

自分が信じているスピリチュアルの信念に

 

固執していたりする。

 

執着から解放されるためにスピを実践しているのに、

 

結局、それを信じていること自体が執着だった、

 

みたいな…。これってもう喜劇である。

 

なので、

 

信じることに対してもっと柔軟でいいと思うのだ。

 

そして最終的には、

 

自分が信じてやってきたものさえも、

 

手放す時が来るのだ。