香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄弟が邪魔をする

👆 姫路城って本当に絵になる

 

 

前回、自分よりも優れた他者に姿を変えた自分が、

 

よってたかって自分を助けようとしている、

 

みたいなことを書いたが、起きていることに対しても、

 

同様のことが言える。

 

 

何かワクワクするようなことをしようとした時、

 

さっと邪魔が入ってだめになる、ということがよくある。

 

あのお店で美味しい鰻を食べようと思って行ったら、

 

全席満員で、鰻は全て売り切れていた(笑)、とか、

 

昨日、欲しいと思ったが買わなかった洋服を、

 

やっぱり買おうと思って行ったらなかった、とか、

 

オシャレして出かけたら地下鉄の階段で転んだ、など、

 

枚挙にいとまがない。

 

 

 

 

 

こんな時、完全に自他が分離していた頃は、

 

なんでこうなるんだろう、という怒りや落ち込みで、

 

きぃーっ、とハンカチを咬みしめたものだが、

 

内部側(無限の全体側)で生きるようになってからは、

 

全て愛が発露となって動いていることが解かってきた。

 

 

しかし、それは決して、

 

あの店が満席だったためにもっとよいお店に導かれた、

 

とか、階段で転んだことでもっと大きな災難から免れた、

 

というような、

 

結果よくなった的な類いのことを言っているのではない。

 

個の自分にとって最悪なことが起こったように見えても

 

また、それが最悪のままで終わったとしても、

 

僕らには到底窺い知ることのできない深遠な領域で、

 

完璧な秩序のもとで愛が遂行されている。

 

僕たちにとって最悪だと思えるような出来事は、

 

無限の全体から見れば最悪ではないのだ。

 

それが本当に理解できて以来(といっても最近)、

 

腹を立てながらも大好き、憎みながらも愛してる、

 

最悪のままでもハッピー、何を成さなくても安心、

 

という今この瞬間を生きることができるようになった。

 

 

それが最悪かどうかなんて自分には分からないし、

 

逆にそれが最高のことかどうかも分からない。

 

しかし、

 

何が起きても起きなくても、誰がいてもいなくても、

 

見つめているものの裏側に不変の愛が流れている。

 

そして、その智覚の中でただたゆたっていると、

 

空間が愛で震えだす。

 

(比喩ではない。本当に震えるのだ!)

 

 

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とまあそんな感じで、

 

昨日のコミュニケーション学の試験だが、

 

高コンテクスト文化のくだりもビシッと試験に出て、

 

なんとか合格点を確保することができた。

 

次は日曜の日本語教授法の試験である。

 

ああ、なかなか年が越せない。きいぃーっ!