香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

察しなさい!

👆異文化コミュニケーション学の授業

 

 

 

ヤバいっ!マズいっ!サイアクやぁぁー!

 

明日コミュニケーション学の試験なのに何もやってない。

 

ここのところ、ずっとヴィンセントと遊びほうけていて、

 

明日の試験のことが、すぽっ、と抜けていたのだ。

 

日曜には、外国語教授法と日本語史の試験もある。

 

それなのに、夕食の後、寝落ちしてしまった。

 

落第点をとって、正月早々追試なんて絶対嫌だ!

 

それでさっきまで4時間くらいずっと勉強をしていた。

 

ジェームス・アッシャーの教授法やら、C文化やら、

 

もうダメ、絶対落ちる、脳の海馬が破裂しそう。

 

ただ、そんな中でも、ホールという言語学者が提唱した、

 

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化という概念が

 

出てきて、ここだけは面白いなと思いながら見ていた。

 

 

高コンテクスト文化とは、察する文化ともいわれ、

 

対話には含みがあり、意志をはっきり伝えない。

 

意図をほのめかしたりして間接的な表現で伝え、

 

受け手は文脈から相手の意図を察して反応する。

 

一方、低コンテクスト文化は、情報文化ともいわれ、

 

伝えるべき情報をハッキリ明確に言葉で伝え、

 

受け手は、言葉の額面通りに相手の意図を受け取る。

 

なので言う側は詳細に言葉で説明する必要がある。

 

で、

 

日本はダントツで高コンテクストの国なのだという。

 

この時、僕が日本に帰国してから感じていた違和感は、

 

この〝察して文化〟にあったのだと、

 

初めてガテンがいった。

 

 

例えば、日本では、会議室で誰かが「寒い」と言えば、

 

リモコンの近くにいる人がエアコンの温度を上げる。

 

日本以外での国では、

 

エアコンの温度を上げてください、とはっきり言う。

 

ただ、察する文化は日本人の美徳である反面、

 

自分の意図が察してもらえなかった時、

 

往々にして怒りに変わる、という欠点がある。

 

 

彼女が彼氏にミルクティーを買ってきてと頼み、

 

それに砂糖がひとつしかついていなかった時、

 

いつも砂糖を二つ入れてるのを見てるのに、

 

ひとつしか持ってこなかった」とイラっと来る。

 

それで、彼氏からどうしたの、と訊かれても、

 

「別に…」と答えながらもぶすっとしている。

 

「さあ、私がなんで不機嫌なのか察しなさい」

 

というわけである。

 

 

僕は外国で30年以上も暮らしてきたので、

 

ハッキリ意志を伝える低テクスト文化に慣れている。

 

電車で、席を詰めてくれたら座れるのに、と思うと、

 

「すみません、席詰めて貰えます?」と言えるのだ。

 

なのにみんな、黙ったまましんどそうに立っている。

 

言えばいいじゃん、と思ってしまうのだ。

 

 

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それでも、席を詰めてくださいくらいの問題であれば、

 

文化が違うのだなあ、で事がすむのだが、

 

これが、母親や父親や兄弟や同僚や子供や友人、

 

といった、感情的な人間関係の中の問題になると、

 

察してもらえなかった怒りや悲しみが抑え込まれ、

 

最後は様々な苦しみや体の不調となって顕われる。

 

 

少し前に書いた、4年前の兄弟てっちゃんとの事も、

 

もし彼が、もういい、とシャットアウトせずに、

 

自分の想いをぶつけて飛び掛かってきてくれていたら

 

多分、彼も苦しまずに済んだのかもしれない。

 

なぜなら僕は全然〝察して〟いなかったので、

 

何とも思っていないどころか全く覚えていないからだ。

 

 

👇兄弟てっちゃんとの4年前の出来事はこちら

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日本人は(て僕も日本人だが)なんしか言わない。

 

言えば済むこと、訊けば済むことすら言わない。

 

イジメられても、パワハラされても、

 

なんでそんなことをするのか、やめてください、

 

こんなことをされて困っています、と言わない。

 

高倉健や賠償美津子のようなのを美徳としている。

 

日本以外の国では(と敢えて言う) 、

 

きちんと言わないからこうなるんじゃん、となる。

 

まあ、赦しや悟りという角度から見れば、

 

さっきまで怒り狂っていたと思ったら、次の瞬間には、

 

テレビを見て大笑いしている大阪のおばちゃんで

 

正解なのだろう。

 

そういう意味で、エクスプレスセッションは、

 

日本人には特に有効かもしれない、と思った。

 

察してもらえなかった想いを、

 

自分の中だけで処理しようとしても難しいと思うから。

 

 

と、ここまで書いてきて、ようやく分かった。

 

僕のハートが比較的早い段階で開いたのは、

 

あのコーヒーカップ事件のように、些細なことまで、

 

バンバン兄弟にぶつけ、エクスプレスセッションを、

 

日常でやってたからなのかも、と…。