香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

脱力水曜日

 

 

 

日本語教師の学校も今日から正月休みとなった。

 

日本語史の試験もようやく終わり、やれやれだ。

 

それで、今日は買い物に行ったり何やかやしよう、

 

と思っていたのに、一日眠りほうけてしまった。

 

試験が立て込んでいたのと、ヴィンセントが来たりして

 

知らないうちに気が張っていたのだと思う。

 

それに、台湾の出版社に見せる小説を中国語に

 

翻訳していたのもあり、疲労がたまっていたのかも。

 

で、全身から力が抜け、ベッドから動けなくなった。

 

 

ふわふわとした夢うつつの中、

 

自分の肉体が素粒子の波のように分解され、

 

空間に溶けてゆくような感覚を感じていた。

 

粒子の波が湧きたつように立ち顕われては消えてゆく。

 

その湧き立つ振動が無限の速度で繰り返されながら、

 

粒子の塊りとしての自分の肉体を存在させ続けている。

 

意識も同じく、様々な思いが湧き立っては、

 

湯気のように消えてゆく。

 

 

この時はあまりに疲れていたので、

 

明日これをしなければ、とか、これからどうしよう、

 

という方向へ思考が行かなかった。

 

窓から差し込む明るい日差し、暖かな室内、

 

ただ、もわもわふわふわ、この瞬間にたゆたっていた。

 

 

 

 

やがて、

 

素粒子の粒粒(原子や電子)を生み出す元となる部分

 

何もない部分(無限の全体)が智覚されてくる。

 

そこは変化することのない無条件の愛に満ちていて、

 

絶対に解釈不能な領域だ(領域というより全てである)。

 

 

個の自分の意識が捉えた感情に従って、

 

無限の全体(量子真空)が量子を湧き立たせ、

 

様々な感情や出来事や人や物質を立ち顕わす。

 

愛を思えば愛のフォトン(光子)が湧き顕われ、

 

罪悪を思えば罪悪のフォトンに満たされる。

 

もともとが愛なので、何を思おうと愛しかないのだが、

 

無限の全体(神)に気づいていない僕たちは、

 

それらを歪めて解釈してしまうため、

 

どうしても分離感と無力感を持ってしまいがちだ。

 

しかし本当は神(無限の愛)にしか満たされていない。

 

全ての人や物や想いの素粒子は、神でできている。

 

 

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夜、11時ごろになってようやくベッドから這い出し、

 

風呂に入ってから、冷凍餃子の遅い夕食をとった。

 

身体がシャンとしてくるに従い、

 

懐かしい世界から戻ってきたような悲しさに襲われた。

 

今日は一歩も家から出なかったけれど、

 

ものすごく広大な世界を旅したような一日であった。