香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

スピリチュアルが邪魔をする

👆僕が住んでいる所は堀川神社と天満宮の近くで

   明日から交通規制が行われるため

   大みそかは早々に実家へ避難する予定

 

 

会社で働いていた頃は、あっちゅーまに時間が過ぎ、

 

1日が18時間くらいに感じられたものだが、

 

ここへ来て、時間の経過が遅く感じられている。

 

特に12月は、なかなか時間が経たなかった。

 

これはどういうことなのか、と考えてみたところ、

 

24時間がまるまる自分の時間になったからだ、

 

という結論に達した。

 

 

会社や組織でオツトメをしている人にとっては、

 

人生の大部分を組織の中で過ごしていると思うのだが、

 

それはまた、人生の大部分の時間を、

 

本来の自分ではない自分で過ごしていることでもある。

 

なぜなら、

 

組織の中の個人は上からの命令によって動くので、

 

ありのままの自分で在ることは、ある意味許されない。

 

僕の場合、海外駐在ということもあり、

 

比較的自由に行動することができてはいたが、

 

それでも、命令された出張にはいかねばならず、

 

会いたくない人と会い、組織のルールに従いながら、

 

自分ではない時間を過ごさねばならなかった。

 

早く過ぎ去ってほしい時間はパターン化され、

 

心の入っていない時間は、さ、さ、さ、と過ぎてゆく。

 

それで、あっという間に年末、ということになってしまう。

 

それを、次元上昇で地球の時間が加速している、

 

などと言ってごまかしていた。爆笑である。

 

 

これはニーチェの言葉なのだが、

 

〝あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、

 

    現在でも奴隷と自由人に分かれる。

 

    自分の一日の三分のニを

 

    自己のために持っていない者は奴隷である〟と…。

 

 

僕は何にも属さない人間になってみて初めて、

 

この言葉の意味がしみじみ真実だと体感させられた。

 

なので、今の僕が時間の経過を遅く感じのは、

 

奴隷ではない時間を生きているからだと納得できる。

 

その反面、

 

檻から出ないことで守られる安心感もあるのは確かで、

 

どちらが正解か、と一概には言えない…。

 

 

まあ、そうは言っても、

 

家庭も子供もローンもない一匹狼の僕とは違い、

 

家族を養うために、やりたくない仕事もやるしかない、

 

という兄弟たちだってたくさんおられるはずである。

 

こういう時、奴隷にならない唯一の方法がある。

 

それは、腹を決める、ということだ。

 

奇跡講座?赦し?悟り?そんなのどうでもいい、

 

奴隷なら奴隷で結構だ、自分は家族を養うために

 

何があっても、俺はここでこうしてやってゆくのだ、と、

 

力強く決断して生きてゆくのだ。

 

自身の意志できっぱり腹をくくれたら、

 

それはもはや奴隷ではない。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

 

全てはお任せ、それでも同僚を愛で見よう、

 

本当の自分はすでに愛される存在だ、というような、

 

〝言い聞かせスピ〟が苦しみを継続させている。

 

 

こんなの嫌だあー、あいつ大っ嫌い、ムカつくうーっ、

 

と本音の自分が叫んでいるのに、

 

いや、全て聖霊にお任せで自分は何も知らないんです、

 

それでも同僚は愛なんです、罪なんてないんです、

 

本当の自分はすでに愛される存在だ、というような、

 

思ってもいない言葉でごまかそうとしないこと。

 

それが、自分を愛する、自分を大切にする、

 

ということの意味である。

 

 

こんな嫌な自分で上等、と腹を決めてやってゆくのだ。

 

そうすると、皮肉なことに、相手が愛に変わったり、

 

苦しみや憎しみが大好きに反転してしまったりする。

 

 

なぜかというと、腹を決めれる、ということは、

 

ある意味、自分の腹の底の本音を知覚し、

 

受け止められている証拠でもあるからだ。

 

 

なんか、時間が遅く過ぎる、という話題から、

 

ヘンなところまで来てしまった。

 

というわけでおやすみなさい。