香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

静けさの輝き

 

 

 

ここ数日、僕の家の周辺が人でごったがえしている。

 

堀川神社が10日戎(えびす)で、連日屋台が並び、

 

お囃子が流れる中、巫女さんから福笹を授かろうと、

 

多くの商売人の人たちが列をつくっている。

 

昨日も、夜中にジムへ行った帰りの深夜二時頃、

 

自転車で通りかかると、

 

仕事を終えた梅田や新地に勤めるホストやキャバ嬢

 

のお兄さんお姉さんたちが集団でお参りに来ていて、

 

夜の街のすぐ近くにある神社ならでわだな、

 

と思いながら、僕もついでにお参りをしてきた。

 

 

👆人で賑わっているのに、強化ガラス一枚隔てたような

     静謐を感じるのはなぜだろう?

 

 

「大好きと愛してるがいっぱいの1年でありますように」

 

と祈った。

 

そして、神に手を合わせて祈っている間、自分は今、

 

自己の内側に入って、見えない世界側のエネルギーを

 

振動させているのだな、と思った。

 

『すずめの戸締り』を見た直後だからかもしれないが、

 

見えない側を観る、見えない側を生きる、ということを、

 

最近、すごく意識するようになっている。

 

 



 

人が行なった行為や発した言葉、動いている風景、

 

見えているもの、聞こえているもの、表情、出来事、

 

などの裏側で響いているものを観る。

 

僕の場合、その裏側で響いているものが、

 

どんなにおぞましいものであっても、

 

やっぱり、愛に昇華されて行ってしまう。

 

 

見えない側を観るには、光の速度の場に入る、

 

すなわち、今にフォーカスしている必要がある。

 

そこは光速のフィールドであり、10年前のことも、

 

明日のことも、全てがそこに同時に存在している。

 

 

 

 

僕たちはよく〝いま〟から離れて(神から離れて)、

 

あの時のあの事は絶対に許せない、とか、

 

明日また仕事だあ、あの件はどう処理しよう、と、

 

様々な〝今〟以外の時へワープしてしまいがちだが、

 

無意識状態で妄想の過去や未来へ行くのではなく、

 

〝今この瞬間〟の中にいて、そこに折り畳まれている

 

あの時のあの事、明日の仕事、あの件、を観てみる。

 

そうすることで、過去が癒され、未来が動く。

 

(たぶん、うまく伝わっていないと思われ…)

 

要するに、今から離れて妄想している来週のあの件と、

 

今の光速の中にある来週のあの件は、方向が全く違う。

 

 

こうして見えない側をリアルにしていくと、

 

映画の中のすずめのように、見えないものが見え、

 

過去の自分に会えるようになり、癒すことができる。

 

それが〝赦す〟ということになるのだと思う。

 

 

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そういう意味で、僕が今住んでいる南森町は、

 

神社が多いからか、都会のど真ん中に在りながら、

 

どこか、奈良のような静けさに満ちている。

 

人がたくさん歩いているのに、ひっそりしているのだ。

 

路地からひょっと天狗が現われそうな感じさえする。

 

まあ、本当はにぎやかな街なのかもしれないが、

 

僕だけが、

 

別の次元の南森町に迷い込んでいるのかもしれない。