香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝自分〟が泣いている

 

 

もし、今いる現実が、本当の本当の本当に夢だ、と、

 

頭ではなく、リアルに分かっていたら、または、

 

ここが、夜寝ている時に見る夢の中と全く同じだ、

 

と、心底腑に落ちて気づいて生きているとしたら、

 

それでもあなたは、そこで同じことをしているだろうか、

 

そこへ行って毎日仕事をするのだろうか、

 

これからも、その人間関係を続けてゆくのだろうか、

 

そして、夢だと気づいていながら、

 

恐怖に基づく日常を繰り返すのなら、

 

それはなにも赦せていない、ということである、

 

と、昨日見た夢の中で、何度も何度も問いかけられた。

 

誰に?わからない。

 

 

今の僕は仕事もしていないし、特別な人間関係もない。

 

毎日しているのは小説を書くことくらいか?

 

しかし、会社勤めをしていた頃は、

 

現実は夜見るときの夢と同じだ、なんてとても思えず、

 

人から責められないように警戒ばかりしていた。

 

しかし、アニータに出会い、兄貴に出会って、

 

自分責めを止め、自分の中が愛で満たされてくると、

 

徐々に現実が優しい絵に変わり始めた。

 

人が優しくなり、見えてくる風景が柔らかくなった。

 

すると、今この瞬間に対する抵抗が止み、

 

この現実に実体がないことが理解できるようになった。

 

結果、会社を辞め、香港を後にし、日本へ帰国し、

 

今は、南森町で兄貴と不思議な毎日を送っている。

 

もし外界に力を明け渡していた状態のままだったら、

 

会社を辞めることなど、考えも及ばなかっただろう。

 

 



 

自分責めをどうやってやめたのか、とよく訊かれる。

 

僕の場合は、自分を褒めることから始めた。

 

ダメだダメだ怖い怖い、と自分を責めている時に

 

それを止めることなんて到底無理だったので、

 

先ずは、片っ端から自分を褒めた。

 

誰かにありがとう、と言えた自分を、いい奴だと褒め、

 

汚れた衣服を洗濯した自分を、よくできたと褒め、

 

上司に何か言われても我慢した自分を、すごいと褒め

 

ちゃんとトイレで用を足せた自分を、えらいと褒める。

 

そんなところから始めた。

 

それも、ただその時に思うだけでは自覚できないので、

 

毎日帰りの電車の中で、スマホのメモ帳に、

 

〝今日の自分褒め〟を書いていくようにした。

 

 

コツは、他人ではなく自分を褒める、ことにある。

 

ありがとうと言った時、相手に感謝ではなく、

 

それを言えた自分に感謝する。

 

美味しいものを食べた時、その料理に感謝ではなく、

 

それを美味しいと感じられる自分に感謝である。

 

そうすると、自分褒めは無限にある。

 

 

大抵、自分を責める人というのは、自分よりも、

 

他人に感謝、相手を愛で見よう、相手を褒めよう、

 

としてしまいがちだ。

 

そのほうが罪悪感を感じず、気分がいいからである。

 

しかし、それをやればやるほど相手から責められる。

 

なぜなら、その相手を投影しているのは自分であり、

 

その投影元の自分が、

 

自分からないがしろにされている状態で、

 

現実が優しい絵になど変わるわけがない。

 

 

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自分が飢えている状態で、人を満たすことはできない。

 

自分を赦せてなければ、どんなものも赦せない。

 

自分を愛せて初めて、神を愛することができる。

 

なぜなら、自分と神は同じものなので、

 

自分が嫌いというのは、神が嫌いと同じことになる。

 

そして、自分に愛が戻ってきたとき、

 

自分も現実も、消える。