以前、母に送ったトラピチェエメラルドの指輪を、
嵌める機会が無い、と母がいうので持ち帰って来た。
この指輪は、怪しいハノイの宝石商佐藤氏と共に、
香港のジュエリー展覧会を見て回った際に買った石を
自分でデザインを起こし、指輪にしてもらったものだ。
こんなに美しい指輪をタンスに眠らせておくなんて、と
指のサイズが母と同じなのをよいことに、
僕が使うことにした。
この指輪、本当にきれい。
トラピチェの指輪はここで何度も紹介しているが、
やはりこの指輪が一番玉が大きくて美しい。
それに佐藤氏の宝石工場の技術も素晴らしい。
これからは、愛と平安の象徴として、
この指輪をずっと身に着けてゆくつもり。
話は変わって、
皆さんは、瞑想する派か、それとも、しない派だろうか。
僕は瞑想する派で、しかも、完全自己流である。(笑)
僕の場合、家で瞑想をすると寝落ちしてしまうので、
筋トレ後に、深夜のジムのスタジオで瞑想をする。
いつも、高さ10センチほどのピンヒールを履いて、
ポールダンスの練習をしているお姉さんがいるのだが、
彼女の邪魔にならないよう、はじっこにマットを敷き、
iPodsで瞑想音楽を聞きながら行なう。
👆 こんな指輪が欲しいと佐藤氏に絵を見せると、
彼が石を見つけてきて指輪にしてくれる。
だが、瞑想と言っても、心静かに、とかではなく、
頭の中にはいつもエゴの雑念が渦巻いている。
人によっては、静かな場所で、じっと目を閉じていると、
強烈な不安感や恐怖に襲われたり、
辛い過去や、未来への心配事などが浮かんできて、
いたたまれない気持ちになってしまったりするが、
僕も同じで、思わず悲鳴を上げたくなるような、
あんなこと、こんなことが、次々に湧き上がってくる。
ただ僕の場合、
自我から逃げない覚悟だけはあるので、
ひとつひとつの囁きを捉えて、これらの声は全部、
噓っぱちで、本当ではなく、何の意味もない戯言だと、
瞑想の中でいちいち〝確認〟〝看破〟してゆく。
なぜなら、エゴの呟きを消すなんて不可能だし、
他のことをして気を紛らわせても無駄だと分っている。
👆 佐藤氏は現在山梨在住
深夜のスタジオで、そんな瞑想を続けていたある日、
床がやけにドンドンと響くので目を開けて見ると、
この日は、ポールダンスのお姉さんではなく、
キャップを被ったヒップホップのお兄さんが、
ジャンプをしながらキレキレのダンスを練習していた。
と突然〝私は奇蹟である〟という声が鳴り響き、
自分は奇蹟そのもので、神の奇蹟でできていて、
自分の中を奇蹟が流れている、という〝想い〟が、
全身を走り抜け、充満し、爆発した。
次の瞬間、僕はマットの上へ仰向けに倒れてしまった。
なんていうか〝奇蹟〟という言葉を口にしただけで、
奇蹟の本質が、ばーん、と全て明らかになる感じ。
この感じは、言葉では到底表現できない。
いずれにせよ、形而上学で学んだ奇跡とは全く違う。
その後、瞑想の時のみならず、普段の生活の中でも、
これはエゴだと気づいたり、不安や恐怖に襲われた時
「私は奇蹟である」という一文を力強く発しただけで、
全身が奇蹟で満たされ、エゴの囁きが一瞬で消える。
そしてそれ以降、エゴの声が全く怖くなくなった。
捉らえて、見て、嘘だと確認し、奇蹟を以って否定する。
それが、今の僕の瞑想であり、日常となっている。
そういう意味で、僕の目の前に現われる人はみな、
僕の奇蹟で創られている。