昨夜は友人と火鍋(ホットポット)を食べに行った。
コーズウェイベイにある〝樓下火鍋飯店〟。
地下へと続く階段を下りてゆくと、そこには、
ノスタルジックでレトロな70年代香港が広がっていた。
レトロブームに乗っかっちゃいました、というような、
なんちゃって感が全くなく、古き良き時代の香港に
タイムスリップしたような空間が再現されている。
もう、経営者の本気度がうかがえる店だ。
中国製の肉を一切使用していないので値段は張るが、
スープも美味くて、ビールも進んだ。
こうして久々の香港を満喫する一方で、
ここはもう自分が居たいと思う場所ではない、
という想いも、同時に味わっていた。
その理由を述べよ、と言われても答えられないのだが
ここが自分にとってすでに終わってしまった場所だ、
ということは、感覚的にビンビン来る。
要するに、トキめかない、のである。
当時、兄貴は、ここにいても前に進まないので、
早く日本へ帰国しなさい、としつこく言っていたけれど、
その真意が、今回の旅でなんとなくわかった気がする。
もう完全に周波数が変わってしまっているのに、
依然留まり続けていることに〝気づく〟ために、
自分は一旦、そこから離れる必要があったのだ。
会社でも、家庭でも、コニュニティでもそうだが、
なんか違うと思いながらも長年その中にいると、
地縛霊のように、その中で動けなくなってしまう。
時代は進んでいるのに、自分はまだ70年代の香港で
火鍋をつついている、みたいな…。
今回の旅では、恐怖から物事を決めない、と誓った。
安心を得るために何かをしてもロクなことにならない
ということを、この年になってようやく悟り始めている。
そういう意味では、
台湾で日本語教師をするのもなんか違う、と、
自分の中の〝ホンネの部分〟が感じている。
そして、改めて自分の本音に耳を澄ませてみれば、
純粋に小説だけを書いて過ごしたい、と返って来た。
社会的接点を遮断して創作だけに打ち込むなんて、
そんなのガチブル過ぎて、精神が持たない…。
必死で抵抗するが、自分の本音に従えば、
兄貴によって道が整えられることも分かっている。
ていうか、何もしなくても経済的不自由がないように、
すでに整えてやっているじゃないか、と兄貴は言う。
まあいい、全ての想いを奇蹟に委ねて過ごそう。
答えはこの旅の終わりに分かると思うから…。