👆 年末の午後、奈良ホテルでランチ
キスのなんちゃら、という前菜。
シャンパンでいただく。
(前回のがんかもしれない事件から続く…)
もう30年以上も、このT医師に会っていなかったので、
僕のことなんか絶対に覚えていないだろう、と、
敢えて自分の素性を明かさず、
診察だけを受けて帰ろうと思っていたのだが、
名前が呼ばれ、診察台に座ると、
即行で「周作だろ!」、と声をかけられた。
👆 今回、酒が飲めない友人が運転してくれたので
安心してワインが飲めるボク
「舌がんの口内炎は、基本ひとつしかできないので、
3つもできるなんて、まず考えられませんね」
と、これはがんによるものではないと告げられた。
それから、病変の写真を撮り、マイクロカメラで、
喉の検査もしてもらい、リンパ系の触診も受けた。
結果、免疫疾患の疑いがあるということで、
注射をされ、薬を処方してもらった。
👆 メインディッシュ(魚)白ワインでいただく
舌で味わえるという幸せと感謝をかみしめる
夜、そのT医師から電話がかかってきた。
突然、悲壮な面持ちで現れたので本当にびっくりした、
顔を見て、すぐに周作だとわかった、
中国へ留学してからどうしているのかな、と、
気になっていたんだよ、と言われた。
死を覚悟して行きました、という僕に、大笑いされ、
頼って来てくれてありがとう、と言ってくださった。
若いころから、彼は僕のお兄ちゃんのような存在で、
中国へ留学する際も、色々相談に乗ってもらった。
当時、彼が非番で、僕らと一緒に遊んでいる時も、
病院からのポケベルが鳴れば即刻帰ってゆくような、
本当に患者ファーストの職務に誠実な医師だった。
👆 メインディッシュ(牛肉)
シカの肉みたい、とお給仕さんに告げると
「はい、奈良公園の鹿を使用しております」
と横から友人がチャチャを入れたので、
若いお給仕さんは困って顔を赤くしていた
大阪から通うには遠すぎるので、
LINEで経過報告をするように、と告げられた。
あくる日、口内炎が嘘のように治っていた。
ほんとうに、へ?という感じ。
二日後には、普通に食事もできるようになった。
そのことをLINEで彼に報告すると、
よかったね、と喜んでくれ、
年明けに一緒に食事をすることになった。
👆 前菜にはシャンパン、魚料理には白ワイン
肉料理には赤ワイン、
そして、デザートにはコーヒー、というふうに、
料理によって運ばれてくる飲み物も変わる
がんかもしれない、という今回の巨大な恐怖と苦痛は、
これまで大きなケガや病気をしてこなかった僕に、
さまざまな気づきや感慨をもたらしてくれた。
まず、不治の病で自分は死ぬかもしれないと思った時、
ふっと思ったのは、自分の何がいけなかったんだろう、
という自責と後悔の念だ。
最近飲み始めたどくだみ茶がいけなかったのか、
ビタミンBを多くとれば口内炎はよくなるのか、
あの人と知り合ってからなんか変なことばかり起こる、
原因を外に探して、何とかしようと四苦八苦していた。
👆 浮御堂を散策。安定の静寂(上)
車で若草山へ。元日は混むだろうなあ(下)
ただ、目に映ったものが、嫌でも見えてしまうのと同様
いろいろな思いもまた、自分とは関係なく、ふっと、
どこからともなく、勝手に湧き出していて、
それを自分だと勘違いしていることは智っていたので、
苦しいなら苦しいまま、不安なら不安なまま、
抵抗せず、ただ、その瞬間に起こってくる〝ふっ〟
だけに任せていた。
そして、苦しみも、不安も、どこまでも裁かず、
そのままでいた時、それが〝愛の存在感〟となった。
愛の存在、ではなく、愛の存在感、である。
病気に対する苦しみも恐れも、愛の存在感だった。
病気になっても、愛を感じているから平安、とか、
恐れない、ということではなく、変な言い方なのだが、
何かを恐れている自分などいない、と分かれば、
そこには、
苦しみとか恐れだけしか起きてないのだから、
苦しい、怖い、のままで安心であり大丈夫でしょ、
ということである。
とまあそんなわけで、2023年が終わろうとしている。
教師になったり、役員になったり、ネパールへ行ったり
と、さまざまなめぐり合わせが起こったわけだが、
全部、起きることが先で、自分で何も起こしていない。
そのことが体験として腹に落ちてから、楽になった。
また、何かを起こしている自分がいないままでいると、
逆に、起きてほしいと思っていたことが起こってくる、
という皮肉な展開になったりする。
ではみなさん、よいお年を…!