1月28日で神戸のルミナリエが終了するというので、
健康寿命を悔いなく生きると決めている僕は(爆)(笑)
先週、慌てて神戸まで行ってきた。
駐車場が気になりつつも、電車ではなく、車で行った。
結局、大丸の駐車場がガラガラだったので助かった。
僕はバックでの駐車が大嫌い(っていうか、できない)
ので、頭から突っ込める場所を探して難儀した(悲)。
ルミナリエは、僕が旧正月の休暇で,
香港から一時帰国する度に、
写真が趣味の父親と一緒に、何度も訪れた場所だ。
そんな父も数年前に亡くなり、
現われては消えてゆく夢の儚さをかみしめながら、
美しい電飾の数々を眺めていたら、涙が溢れてきた。
なんていうか、自分の心の中そのものが、
バーン、とルミナリエとして立ち現れているようで、
感動で、目を見張ってしまったのだ。
その後、商船三井ビルから、
ハイブランドの店がひしめく通りを突っ切るように、
大丸まで歩いた。
なんだか夢を見ているような感覚。
店の中で働いている着飾った店員さんも、
どことなく現実ではない、バーチャルな感じがする。
最後は大丸の屋上で、ピザを食べて帰ってきた。
(駐車代がタダになるから…)
👆 神戸ってやっぱりおしゃれ!
自分が見ている世界は、寝ている時に見る夢と同じで
本当ではなく、故に、自分は今、夢の中を生きており、
どんな夢が展開しても、深刻になる必要などない、と、
理解しつつ、全ての想いを兄貴に(85%くらい?)
渡しながら過ごしているボクである。
(えっ?100パーちゃうんかい?なんやねん!)
とまあ、こんな毎日を送っているからか、最近、
視覚の見え方?が変容してきた。
僕たちは普通、
眼球の表面で外の世界を見ている、と思っているが、
世界が夢だ、という感覚が深くなってくると、
眼球の内側で世界が展開されている感じになる。
なんていうか、寝ている時に見ているの夢と同じで、
瞼を閉じているのに映像は見えてます、みたいな…。
空間は自分の目の裏側で完結していて、
目の外側には何もない。
よって、今見えている映像以外の世界は無い。
例えば、今自分の部屋でご飯を食べているとすると、
ご飯を食べている映像だけが〝見えている〟ような
内に閉ざされた世界の中で飯食ってる、といった、
外ではなく、内側で起きている感覚になってくる。
まるでVRのゴーグルを装着して生活しているみたい。
目の内部に閉じられている世界で活動しているので、
自分の肉体もあいまいな感じがする。
人や車も、ふっ、と突然画面に現れるような感じ。
本当に、ゲームの画面の中にいるみたい。
なので、一刻も早くゴーグルを脱ぎ去って、
娑婆とおさらばしたいボクである。