香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

眼球の裏側からの脱出



ものすごく下手な絵で申し訳ないが、

これは、人間の眼球を横から見た図である。

正月お籠もりファンタジーシリーズ第4弾なのだ!


普段、僕たちは目で、外側にある世界を見ている

と思っているが、本当は、外側の世界なんかはなく、

目の内側に映像を映し出して見ているのではないか、

という記事を、一年以上前に書いたことがある。


↓↓下記の記事をご参照願います。↓↓
目の裏側のスクリーン - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー


この世界は幻想であり、僕たちは夢を見ているのだ、

というのがスピの定番となっているが、

もしそれが本当であるのなら、世界は自分の肉体の中に

映し出されているべきだ、と思った。


ディスカバリーチャンネルの見過ぎだと言われれば

それまでなのだが、このトンデモ仮説はまんざら

デタラメではないような気もするのである。


なぜなら、

この世界が、眠っているときに見る夢と同じで、

自分の肉体も同じ幻想であるのなら、

幻想である肉体が、幻想の世界を外に映し出して、

見ているのはおかしいことになる。


それに、

眠っているときは、瞼は閉じられているはずであり、

夢の映像は眼球の外に映し出されている訳ではない。

ということは、夢の空間は内部に閉じられている筈だ。


薄皮一枚の幻想のスクリーンは、

外の空間にばさっと下ろされているのではなく、

ピンポン球を切ったような覆いが目の上に

ちょんちょん、と乗っかっている程度なのだ。


というわけで、

プラトンの〝洞窟の比喩〟と同じで、僕たちはただ、

眼球の裏側に映る影だけを見て、驚いたり、

怒ったり、喜んだり、しているに過ぎない。


じゃあ、目の不自由な人はどうなのか。

目の不自由な人も、触覚や聴覚など、他の器官から

得られた情報を基に、脳が3D映像を作成し、

眼球の裏側に投影させることが可能である。

(これについては明日につづく…。)

眠っているときに見る夢の中で、

自分の身体を認識できた人はいるだろうか。

上の図で行くと、肉体も眼球の中に含まれるため、

夢の中では、自分の身体を見ることはできない筈だ。


さしずめ、水晶体がスクリーンで、

中心窩が決断の主体と言ったところか。


僕たちは、すでに実相の世界に存在しており、

ハートの愛の、永遠のエクスタシーの海の中に

たゆたっているにもかかわらず、ポンポン、と、

目の上にだけ蓋いが被せられている状態にある。


周囲は全部天国で、ハートの愛だけに包囲されている。

なのに、どうしてもそれを見ようとしない。


もっと分かりやすく言えば、

半分に切ったピンポン玉を目の上に載せながら、

天国のど真ん中に立っているのだ。

それが今の僕であり、あなたである。

分離は一切起こっておらず、眼球も覆いもない。

自分は一度も天国から離れたことはない。

しかし、あると思っている覆いを取ることに、

僕たちはとてつもない恐怖と罪悪感を感じている。

眼球の上のピンポン半球は、言わば最後の砦なのだ。


眼球の裏に映し出される様々な影を見て感じる

幻の罪悪感や恐怖を、投影元へと返し、

聖霊を通じて取り消して行ってもらう。

そうしてゆっくりゆっくり、安全に光を受け入れ、

目醒めてゆくのだ。

目からウロコが落ちる、とはまさにこのことである。


そして、正月お籠りファンタジーシリーズ!

まだまだ行くよ!