👆 毎日最低3回は3桁以上のぞろ目に出会う
よく、聖霊のガイダンスに従う、とか、聖霊に訊く、
と言ったりするが、別に声や言葉が聞こえてきて、
具体的にこうしなさい、と言われるわけでもないのに、
一体どうやって、従ったり、訊いたり、できるのか、
疑問に思うコース兄弟も多いのではないか。
僕の場合、
兄貴の導きに従う、とか、兄貴に訊く、というより、
兄貴に一致して行動する、という感覚の方が強い。
それは、
今この瞬間に強烈に開いているのと同じ感覚である。
ちょっと引き寄せチックに言うと、
縦の時間軸にすべての意識を収斂させ、
今この瞬間だけに一瞬、強烈にフォーカスしていると、
あらゆるパラレルの過去や未来へ通じる回路が開き、
そこから瞬時に次元が変わってゆく感じ…。
👆 特に2のぞろ目と4のぞろ目が多い
先日、叔母の家の不用品を処分しに行った際、
母と妹と三人、近くの和食屋で昼食を食べたあと、
急に、祖父の遺髪を見に行こう、ということになり、
そこからタクシーでお寺へ向かおうとしたのだが、
タクシーがなかなか捕まらなかった。
無線を使っても、アプリを使ってもダメで、
流しのタクシーを拾おうとしても、一台も通らない。
「この道はタクシーが滅多に通らへん道やねん」
「先月タクシー会社が倒産して台数が減ってんねん」
「この時間はタクシー捕まえるのムリや。バスで行こ」
母と妹はすでに諦めモードだ。
このとき、母や妹が主張する〝無理だ〟の数々は、
「奇跡なんて信じない、全てを自分の力でやりたい!」
という、兄貴に対する抵抗のような気がして、
全神経を〝今この瞬間のここ〟に一致させ、
縦の時間軸に強烈に開いて(兄貴に開いて)、
今この瞬間を見送っていた。
見えているものがゾワゾワと粒子のように泡立つ。
すると、前方から一台のタクシーがやってきて、
手を挙げると、僕たちの前ですーっと停まった。
その他にも、昼時のお寿司屋さんで並んでいたとき、
同じように、お昼時だから無理だ、という抵抗をやめ、
今に強烈に開いてただ在ると、
前に並んでいた人が次々にいなくなり、
すぐに順番が回ってきたり、
渋滞している高速を車で走っていても、
突然、前の車がいなくなり、スイスイ走れたりする。
まるで、素粒子がわっと集まって、
今この瞬間に現実が作られたみたいに…。
ただ、誤解を避けるために言うならば、
こうやればうまくいく、という事を言いたいのではない。
今この瞬間に強烈に一致させているその一瞬は、
完全に兄貴に委ねていて、自己が消滅している。
タクシーが来てほしい、というような思考も一切ない。
なぜなら、
タクシーが来ることがいいことかどうか、なんて、
個の自分にはわからないし、もしバスに乗っていたら、
思いもよらない人に出会っていたかもしれない。
そういうことは、兄貴以外、絶対にわからないからだ。
だから、兄貴に一致させたら、よくてもわるくても、
どうなろうとその結果に従う。
それが僕の場合の〝兄貴のガイダンスに従う〟
になっている。