香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

初夏の大感謝祭り!

 

 

 

今この瞬間に〝開いている〟とはどういうことなのか。

 

この〝開く〟という言葉を別の言い方に置き換えると、

 

〝委ねている〟〝任せきっている〟になるだろうか。

 

この瞬間の今に強烈に集中しながら、

 

起こるがままでいると、個人的な思考が脱け落ち、

 

見えているものそのもの、聞こえているそのもの、

 

匂っているそのもの、味わっているそのもの、

 

感じているそのもの、だけが活動している感じになる。

 

 

 

 

僕達は普段、5官(目、耳、鼻、舌、皮膚)から得た

 

画像や音や匂いや味や感覚を、脳が解釈して、

 

喜んだり、怒ったり、恐れたり、落ち込んだりしている。

 

例えば、

 

上司の田中部長の顔を、眼球で見て嫌悪感を抱き、

 

おまえ馬鹿か、という声を耳で聞いて緊張し、

 

頼むよ、と、ぽんと肩を叩かれて、死ね、と思う。

 

しかし、嫌悪感を抱き、緊張し、死ねと思う前の、

 

田中部長の顔そのもの、聞こえている声そのもの、

 

肩を叩かれた皮膚の感触そのものがあるはずだ。

 

そして、今この瞬間に任せきって何もしないでいる時、

 

解釈が起きる以前の〝そのもの〟に戻っている。

 

また逆に、目や耳や鼻や舌や皮膚の働きがなければ

 

脳は、それが何であるかを解釈できなくなり、

 

〝わたし〟や〝あなた〟を認識できない。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

よく、スピリチュアルでは、世界は夢で幻想なのだから、

 

見えているもの、聞こえているものも無いんです、

 

と言ったりするが、厳密に言えば、そうではない。

 

今この瞬間に見え、聞こえ、匂い、味わい、感じている

 

それそのものの中に解釈がないことが判れば、

 

そこに実相世界(天国)が在ることがはっきりする。

 

 

ひとつ例を挙げると、

 

僕が高校生の頃に大ファンだった石坂智子のLP版が

 

メルカリに出品されていたので購入したのだ。

 

送られてきた商品は古い段ボールで梱包されており、

 

封を開けてしばらくしてから、体が痒くなり始めた。

 

梱包資材に付着していたダニが原因だ、と思った。

 

だが、これも、今この瞬間だけで観れば、

 

皮膚に感じる痒さ〝そのもの〟だけしかなく、

 

ただ、かゆーい、だけで何の問題もない。

 

その次の瞬間に、

 

梱包資材を捨て、ダニアースを噴きかける、

 

という思いが自分無しに〝ふっ〟と出てきて、

 

その行為自体が起こっている。

 

だが、それを、

 

自分がやっていると錯覚しているだけで、

 

ただ〝ふっ〟によって行われているだけで、

 

そこに、何かをしている自分なんかいない。