今日は、昼から2時間くらい瞑想をした。
自分の背後からぐるりと回りこんで、
前方のスクリーンの背後へたどり着く瞑想。
(※前回と前々回の記事を参照)
これは、僕だけかもしれないが、
背後に意識を向けると愛を感じ
前方に意識を向けると不安を感じる。
自分の背後からぐるりと回って、
他者の背後に入ると他者が愛に見え、
前方の他者の肉体を突き抜けて、
そのまま意識を進めると虚無に見える。
上手く説明できないけれど、
意識の矢印が後ろ側へ向かうか、
前側の肉体側へ向かうかで、
見える世界が全然違ってくる。
なので僕は、普段、人と話している時など、
ほとんどの時間を〝後ろ同士で繫がる〟
ことを意識するようにしている。
すると、自分が背後で感じている、
愛おしさや、大好きーっ、という想いが、
前方の相手の中から放たれてくるのだ。
結果、向かい合う肉体の自分達が
何をしていても、関係がなくなる。
そうやって、
見えない側の方にずっと居続けると、
そもそも自分は、
愛そのものだった、神そのものだった、
繋がろうとか感じようとする必要もなかった、
探さなくても全部ここにあったと解ってくる。
また、全てがここに在る、
という理解の方がリアルになるにつれ、
恐れや不安から行なってきた様々なこと、
僕の場合だと、会社の仕事全部、とか、
他の人だと、付き合いで行っている集まり、
とか、旦那の方の親戚付き合い、とか、
または、夫婦関係そのものに対して、
強烈な違和感が生まれてくる。
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