香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

後ろにあるもの

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今日は、昼から2時間くらい瞑想をした。

 

自分の背後からぐるりと回りこんで、

 

前方のスクリーンの背後へたどり着く瞑想。

 

(※前回と前々回の記事を参照)

 

 

これは、僕だけかもしれないが、

 

背後に意識を向けると愛を感じ

 

前方に意識を向けると不安を感じる。

 

自分の背後からぐるりと回って、

 

他者の背後に入ると他者が愛に見え、

 

前方の他者の肉体を突き抜けて、

 

そのまま意識を進めると虚無に見える。

 

上手く説明できないけれど、

 

意識の矢印が後ろ側へ向かうか、

 

前側の肉体側へ向かうかで、

 

見える世界が全然違ってくる。

 

 

なので僕は、普段、人と話している時など、

 

ほとんどの時間を〝後ろ同士で繫がる〟

 

ことを意識するようにしている。

 

すると、自分が背後で感じている、

 

愛おしさや、大好きーっ、という想いが、

 

前方の相手の中から放たれてくるのだ。

 

結果、向かい合う肉体の自分達が

 

何をしていても、関係がなくなる。

 

 

そうやって、

 

見えない側の方にずっと居続けると、

 

そもそも自分は、

 

愛そのものだった、神そのものだった、

 

繋がろうとか感じようとする必要もなかった、

 

探さなくても全部ここにあったと解ってくる。

 

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また、全てがここに在る、

 

という理解の方がリアルになるにつれ、

 

恐れや不安から行なってきた様々なこと、

 

僕の場合だと、会社の仕事全部、とか、

 

他の人だと、付き合いで行っている集まり、

 

とか、旦那の方の親戚付き合い、とか、

 

または、夫婦関係そのものに対して、

 

強烈な違和感が生まれてくる。

 blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

また、おいおい、お話ししていくと思うが、

 

僕もまた、こうした意識の変化に伴い、

 

様々な転換の兆しが見え始めている。

 

ただ、今回は、違和感だから、とか、

 

もうここではないから、という感じではなく、

 

なんか、愛や感謝から手放す、

 

みたいな感覚になっている。

 

 

もう眠いので、また話はおいおい…。

 

では、おやすみなさい。